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ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。

日テレ「バンキシャ」が玄素彰人・和歌山県印南町長(37)の幼保一体化で「認定こども園」を報じる

2011年04月06日 20時07分11秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)



[画像]玄素彰人・和歌山県日高郡印南町長、2011年2月20日(日)放送の日本テレビ・読売テレビの「真相報道バンキシャ」より。


 月日は百代(はくたい)の過客(かゎかゎく)にして、行き交う(ゆきこお)年もまた、旅人なり。

 東北、おくのほそ道(奥の細道)に旅立つ、芭蕉は、東京・下町の深川でこう詠みました。

 カテゴリー「ルポ)最年少町長さんの誕生」も2年半ぶりの更新となりました。

 さる2011年2月20日(日曜日)の全国ネットはちょっとした「印南町(いなみちょう)デー」でした。

 お昼のNHKのど自慢は、和歌山県西牟婁郡白浜町会場から全国ネット。鐘3つの合格者5人のうち、第1号は印南町民の方でした。

 

[画像]2011年2月20日放送のNHKのど自慢は和歌山県白浜町の体育館から。NHK松本アナウンサーの名司会で、鐘3つ第1号は印南町の「井上さん」でした。

 元々白浜町というのは、ちっぽけな小生にとっては極めて縁が深い国鉄白浜駅(現在のJR西日本白浜駅)からひらけた行楽地であり、かつ、合格第1号が、印南町民の方ということで、このコンビネーションは大変うれしくて、番組終了後に、玄ちゃん、じゃなかった、玄素町長に電話してみました。「おめでとうございます」と半ばふざけ気味に言ったら、「え?」。「のど自慢!」というと、「あっ今日たしか白浜町じゃないか?」とさすがに町長はすばやく気付きました。町長は、県都・和歌山市に出張して、駅伝大会の来賓だということですが、電話しているさいちゅうに、表彰式で使われるおめでたい音楽(♪チャーチャーラ チャーラー チャラチャラチャッチャッチャッー)が外から流れてきて、運の巡り合わせを感じました。そしたら、玄素さんからは「こないだ、日テレの“バンキシャ”の取材を受けていて、きょうの放送で出るかもしれないし、出ないかもしれない」ということで、午後6時からの日本テレビ・よみうりテレビの「真相報道バンキシャ」を見てみました。

 
[画像]真相報道バンキシャ、2011年2月20日放送分、日本テレビ放送網さんの映像からキャプチャさせていただきました。

 この日の「バンキシャ」は放送回数400回記念とのこと。生き馬の目を抜く放送業界で、日曜夜という競争の激しい時間帯で、8年間続いていると言うことで、おめでとうございます。

 さて、この日はアタマの痛い、待機児童の問題ということで、「幼保一元化」や「認定こども園」が話題になりました。以下、当日の放送の画像です。
 
















 番組はまず大阪府知事の橋下徹さん(41)の取り組みを紹介した後、取材班は和歌山県・印南町に渡ります。このエピソードの詳細は、このエントリーの後ろに付けた、日高新報さんや、朝日新聞などの記事を先に目を通して頂ければ分かりますが、バンキシャが印南町に2つある幼稚園、4つある保育所を次々に訪ねると、園長さんは口々に「(2011年3月31日で)閉園になります」と。これは一体どうしたことか、という風情で、バンキシャが町役場の町長室に押しかけると、玄素町長が、すべての町立幼稚園・保育園を廃止して、4月からは、「認定こども園」をスタートすると説明します。

 ここで、詳しい方は、「認定こども園というのは、民設民営ではないの?」と思うでしょう、その通りです。和歌山市に本部がある法人が民設民営で「認定こども園」をスタートするのですが、これは、元々遊休地だった町有地に誘致した格好になります。その町有地が貸与なのか、売却なのか、スタートアップ段階での上屋の固定資産、法人損益への課税はどうなるのか、僕は知りませんし、ジャーナリストとしても、友人である町長にそういう内容を取材したくありません。やはり自治体の中では圧倒的な権限を持つ町長ですから、友人とはいえ、疑われるような付き合いはしてはいけないと自覚しています。ただ、実は、この「認定こども園」に関しては、一つ笑い話があります。認定こども園制度の活用について、玄素町長は就任直後から目を付けていて、所管の文部科学省に話を聞きに行っています。しかし、このときは、文科省は「町長、認定こども園というのは、民設民営だから、自治体は関係ありませ~ん!!」と門前払いされてしまいました。町長の東京出張自体が空振りになりかねず、たまたま私が国会周辺に取材に出かけている時に電話がかかってきて、一緒にコーヒーを飲みながら、国政について情報交換したり、知り合いの国会議員室に遊びに行ったりしました。だから、この門前払いを知っているわけです。印南町では、町長の支持者が「おい、ゲンソ、東京では宮崎君にちゃんと会ってるのか?」と好意的におっしゃってくださる方が多くいらっしゃるそうですから、このエピソードを初めて披露しました。

 3年前は、【最年少首長】34歳・玄素さん、和歌山県印南町長に当選と喜んでいたわけですが、その後、次々と玄素さんより若い首長が誕生しました。小生が旧知で大学2級下の吉田雄人さんも中核市である横須賀市長になり、「密約調査結果」に関して岡田克也外相の訪問を受けたこともありました。正直、若ければいいというわけではないと思いますが、月日は百代の過客のごとく、気付いたときにはあっと言ういうまに去っていきます。

 僕にとっては、5回目のフルタイムでの選挙戦にして、最も壮絶なきつさだった2008年2月の「最年少首長さんの誕生」選挙でしたが、このときは、選挙を闘いながら、選挙事務所から、「仮に当選した最年少首長になりますから、ぜひご取材下さい」とすべての報道機関に電話でお願いしていました。そうすると、かならず「情勢はどうなんですか?」と聞かれるので、「有力だと思いますが、選挙ですから最後まで分かりません」と答え続けたわけですが、最終的には116票差の勝利で、我ながらよくこのような二刀流、連立方程式を成功させた物だと思います。ただ、116票差と言っても、私はこの選挙は「玄素の圧勝」だったと思います。さて、そちらの2つめの目標は、やはり自治体ということで、時事通信の「官庁速報」「カンソク」に玄素印南町長のインタビューが載りましたというのが、全国的にイチバン話題を呼び、「1月にあの巨大自治体の大阪府で、大組織の支援があったとはいえ、弱冠38歳の橋下徹さんが知事になったら、2月には人口1万人未満の印南町で34歳の無所属の元町議が前任町長から後継指名を受けた前教育長(64)との一騎打ちに勝った」ということで、かなり波紋を呼んだようです。

 この「官庁速報(カンソク)」で、新・町長にインタビューをして、記事にしてくださった、時事通信和歌山支局の江藤綾香記者は、元々の所属だった東京本社政治部に帰り、現在は、総理番を含めた政府中枢の取材をしています。

 
 
[画像]菅直人首相との話し合いのために首相公邸に出入りする総理の客人にぶら下がり代表取材をする、江藤綾香・時事通信記者(黄色い服の女性)。2010年秋、NHKニュースから。

 この映像では、首相公邸前に2人の記者しかいませんから、公邸などの警備などの都合から、共同通信社と時事通信社の「ナショナル・フラッグ・ワイヤー」2社の記者が全報道機関を代表して取材する「共同・時事方式」という取材形式だと思います。時事通信記者はえらいのです。

 そして、野党時代に「【夢の対談】新旧最年少首長、改革のバトンをつなごう(前編)



というかっこうで、対談してもらった“現役最年少首長の先輩”の野党1年生議員だった逢坂誠二さんも、政権交代後、首相補佐官を経て、現在は総務大臣政務官として走り回る日々。こうしてみると、3年経って、のんべんだらりんしているのは、僕だけですね、がんばらなくちゃ、まあそのうち僕の出番もでしょう。行き交う年もまた旅人なり。

 「逢坂・玄素対談」の後編にある逢坂さんの「でも、選挙の年になってから、あれこれやるというのは、実力のない首長さんの常です。「選挙イヤーだからやっている」と言われます。「首長は2期、3期やらなければいけない」という人がいますが、だれもそのこと(再選)を保証してはくれないわけで」という言葉はまさに至言だと思います。この言葉は、首長経験者でなければゼッタイに出てこない言葉だと思いますね、「だれもそのこと(再選)を保証してはくれない」。そう言う中では、やはり首長とは孤独だし、裸の王様になるリスクを常にはらんでいる。そう言う中で、前に進んでいく精神力というのは、どこから出てくるのだろうか。その答えは現時点では、僕はまだ言葉で表現できないけど、とにもかくにも、前に進み続けなければいけないんだ。それだけは断言できます。この辺の基礎自治体の首長の心持ちというのも、もう少し、岡田克也さんなんかも分かってくれればいいのになあ、と思っています。せっかく河村たかしさんが基礎自治体の首長になっているんですし。

あす、2011年4月7日(木)、認定こども園の「いなみこども園」は、第1回目の入園式を迎えます。行き交う人もまた旅人なり。


[写真]宮崎信行(筆者)と玄素彰人さん、1995年ごろ、新進党東京第11総支部内で。

 僕もがんばらないとね。

  ◇ 

 和歌山県日高郡印南町の玄素彰人町長(37)は2011年3月14日、印南町議会(藤本良昭議長、堀口晴生副議長)の平成23年(2011年)第1回定例会の一般質問で、西山徹議員の質問に答え、2012年1月ないし2月に施行される次期町長選に「町民はじめ関係各位の協力で200以上の事業と事業改善ができたが、さらにそれらの政策を発展、また経過を見守る意味でも次期町政を担当させていただきたい」と述べ、再選出馬する意向を表明しました。

 同町長選への出馬表明は、玄素さんが初めて。

 自らが組んだ平成23年度予算(2011年4月1日~翌年3月31日)をしっかり、きっちり最後まで執行する、との考えに基づきます。町長は「この3カ月で、区長連絡協議会はじめ各区や団体から多くの出馬要請をいただいた。このことは3年間の行政運営に評価いただいたものと考えており、そのほか諸条件も整いつつあります」「自治体行政を取り巻く環境は非常に厳しいが、不撓不屈の精神で立ち向かいたい」と述べました。紀州新報さん、日高新報さん、紀伊民報さんの地元3紙が伝えました。紀伊民報さんは「現在のところ、対立候補を立てる動きは表面化していない」、日高新報さんは「いまのところ対抗馬のうわさは出ていない」と報じていますが、まだまだ、どうなるか分かりません。油断大敵です。

玄素町長が立候補表明 印南町長選 - AGARA紀伊民報

 和歌山県印南町の玄素彰人町長(37)は14日、町議会3月定例会の一般質問で、来年早々に行われる町長選挙について、立候補する考えを表明した。西山徹議員(無)の質問に答えた。

 玄素町長は出馬表明の理由について「町区長連絡協議会をはじめ、各区や団体からの出馬要請をいただくことが多くなってきた。次期町政を担当しようと決意する上で非常に心強く感じるとともに、3年間の行政運営に対して評価をいただいているものと考えている。諸条件も整いつつあり、町長選に立候補したい」と述べた。選挙で掲げる公約については「後援会や町民の皆さんの意向などを聞かせてもらいながら、しかるべき時期に公表させていただきたい」と話した。
 同町選挙管理委員会によると、町長の任期は来年2月23日までで、選挙は1月か2月を予定しているという。現在のところ、対立候補を立てる動きは表面化していない。

印南の玄素町長 次期町長選出馬を表明 日高新報

 印南町の玄素彰人町長(37)は14日に開かれた3月議会一般質問の中で、来年2月23日任期満了に伴う次期首長選について、「立候補したいと考えている」と正式に出馬を表明した。いまのところ対抗馬のうわさは出ていない。

 西山徹議員の「次期町長選への出馬の意向」に対する答弁。玄素町長は「町民はじめ関係各位の協力で200以上の事業と事業改善ができたが、さらにそれらの政策を発展、また経過を見守る意味でも次期町政を担当させていただきたい」と意欲。「この3カ月で、区長連絡協議会はじめ各区や団体から多くの出馬要請をいただいた。このことは3年間の行政運営に評価いただいたものと考えており、そのほか諸条件も整いつつある」として、出馬を表明した。最後に「自治体行政を取り巻く環境は非常に厳しいが、不撓(ふとう)不屈の精神で立ち向かいたい」と決意を示し、公約については「後援会や町民の皆さんの意向を聞かせてもらい、公表したい」と話した。

 3年前の町長選では、玄素町長が新人同士の対決を3394票対3278票と、116票差で制した。

いなみこども園の園舎お披露目 - 日高新報

 4月に新しく開園する印南町の認定子ども園 「いなみこども園」 の完成した園舎が13日、 入園する園児や保護者にお披露目され、 木の香りとぬくもりあふれる真新しい施設が好評をだった。

 同園で開かれた入園説明会に出席した保護者と園児が、 園舎内を自由に見学した。 教室や遊戯室、 廊下の床には紀州材がふんだんに使われ、 玄関に入った保護者は「いい香りがする」とにっこり。園庭側はすべてガラス張りで、日の光がいっぱい差し込み、室内の明るさや暖かさを体感していた。 子どもたちも大はしゃぎで、うれしそうに走り回る姿がみられた。 印南から参加した浜本安庸さん(43)は、「木のぬくもりがあっていい印象。 緑の芝生が生えそろえばまた雰囲気が変わるでしょうし、 子どもたちが喜んでいるのが何より」 と笑顔で話していた。

 説明会は昼と夜の2回開かれ、 合わせて240人が参加。 運営する和歌山市の社会福祉法人しょうぶ保育園の木村正直理事長や町教育委員会らが園生活について説明したほか、 新しい職員の紹介もあった。 保護者からは制服や持ち物についての質問が相次いでいた。 教育委員会では 「施設を見てもらって好評だったし、 新しいスタッフに安心してもらえたと思っています」 とし、 4月7日の入園・開園式に向けて準備を整えていくとしている。

 ◇

[朝日新聞・2010年6月18日付 大阪地方版/和歌山 31ページから引用はじめ]

県内初、民設民営こども園 印南町立の5幼保統合、来春開園目指す /和歌山県
2010.06.17 大阪地方版/和歌山 31頁 和歌山3 写図有 (全600字)  

   印南町内にある五つの町立幼稚園・保育所を同町山口の町有地に統合、一元化する認定こども園の起工式が15日、現地であった。建設、運営するのは和歌山市の社会福祉法人「しょうぶ保育園」(木村正直理事長)。町教委によると、民設民営方式の認定こども園は県内初という。来年4月の開園を目指している。

 町内には公立の幼稚園が2カ所、保育所は3カ所あるが、老朽化で耐震性に不安を抱える施設が出ていることなどから、町は幼保一元化を進めることを決定。民間の方が施設の建設費や運営費を抑えられるとして設置・運営する法人を募集していた。

 町内の教育関係者や保護者らでつくる選定委員会の審査の結果、しょうぶ保育園が選ばれた。同保育園は1974年の設立。和歌山市吉礼で保育所を運営し、6月1日現在、0~6歳の子ども154人が利用している。

 施設は鉄骨平屋建て、延べ床面積約1600平方メートル。0~5歳児の各保育室や屋内遊戯場などがある。園庭は芝生を植え、大型遊具や砂場などを備える予定。施設の名称は今後、公募する考え。

 約8600平方メートルの敷地は町が無償提供。建設費は基本的に半分が県の基金、4分の1を町が補助する。また運営費の半分程度を町が補助する予定。

 起工式には、印南町やしょうぶ保育園などの関係者約40人が出席し、安全を祈願した。着工は7月の見通し。(紀伊民報) [引用おわり]

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【現役最年少首長】玄素さんの記録破られる 10日間若い福原慎太郎さん益田市長に当選 

2008年07月28日 00時34分25秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

 現職と新人との一騎打ちとなった島根県益田市長選挙は27日投開票され、無所属新人で2度目の挑戦の福原慎太郎さんが初当選しました。福原さんは1973年(昭和48年)4月27日生まれ。和歌山県印南町長の玄素彰人さん=1973年(昭和48年)4月17日生まれ=より10日間若く、全国最年少首長となりました。

 なお、同日の兵庫県太子町長選に31歳の新人が立候補していましたが、現職に及びませんでした。

 というわけで、玄素君の記録は5ヶ月で抜かれてしまいました。引き続き「最年少町長」ですが、本人はあまり気にしてないようで、かえって腰を落ち着けた行革に取り組めるでしょう。玄素君もよろしくお願いします。<(_ _)>

益田市長に福原氏初当選 35歳、全国最年少 '08/7/27 中国新聞
 
 現職と新人の二人が立った益田市長選は二十七日、投開票され、無所属で新人の会社役員福原慎太郎氏(35)が、三選を目指した無所属現職の牛尾郁夫氏(65)を破り、初当選した。全国の市長で最年少となる。

 福原氏は「財政再建が急務」として市職員半減など市政の抜本的改革を訴えた。松下政経塾の同窓生の支援も受け、草の根選挙を展開して支持を広げた。

 

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【夢の対談】新旧最年少首長、改革のバトンをつなごう(後編)

2008年07月26日 00時30分31秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

[写真左は民主党衆院議員・逢坂誠二さん、右は和歌山県印南町長・玄素彰人さん]

 前編からの続きです。

 玄素 当選前から、お金(マネー)の流れを知るということが町政の流れを知るということだと考えていたので、「1円以上決済」をすぐに役場に実施してもらいました。

 そうすると、8割から9割が自分がイメージしていたとおりでした。が、ただ1割前後の未決裁書類の中には、「いやあこんなのほっておいたのかって!(いう歳出が含まれている)。もうビックリですよ」(笑)。

 でも、「ああ、あの職員はあの人の親戚だからなあ」と考えると、だいたいどういうことかは分かってきます(苦笑)。

 逢坂 選挙で歩いているから、だいたいのことは分かるよね(苦笑)。だから政権交代があるのはいいことなんだよね

 玄素 先日は、町会議員さんが「分かりやすい予算書のコピーだ」というのを手に持って、(職員に)「ほら見ろ、(印南町はこれから)こんな予算書をつくるんだぞ」と言って歩いていた議員さんがいましたけども。表紙を見たら「ニセコ町予算書」と書いてありました(笑)。



[活躍の場は広がっても「本籍地はいつも地方自治」]


[町長としての日常業務も板についてきた(紀伊民報)]

 逢坂 それと、老婆心ながら(4年間という)時間は短いですよ。

 玄素 はい。

 逢坂 (町長就任直後の)今年度=平成20年度というのはある種、つぶしの期間ですよ。21年度からやっと魂が入った仕事ができるわけですよね。でも、21年度(予算)から町長がやりたいすべてのことが即実現するわけではないわけで。

 そうなると、勝負は22年度(予算)にどれだけのことをやるかということだと思うんですよね。それで、たぶん、23年度は選挙の年でしょう?

 玄素 はい。

 逢坂 でも、選挙の年になってから、あれこれやるというのは、実力のない首長さんの常です。「選挙イヤーだからやっている」と言われます。「首長は2期、3期やらなければいけない」という人がいますが、だれもそのこと(再選)を保障してはくれないわけです。

 あっという間ですよ。予算編成なんてできそうでいて、簡単にできないですよ。(税収難の)今の時代だから、町長には何ひとつ権限がないと思ったくらいがいいかもしれない。

 玄素 はい。

 逢坂 あれ、(印南町の)財政はどうなんですか?

 玄素 和歌山県内では2番目か3番目かに良いんですよ。

 逢坂 ああ、それは良かったですね。

 玄素 ただし、過去の町長が生活インフラなどに投資していなかったっていう逆の意味で怖い面もあるんです。が、借金がかさんで(周辺自治体と)合併せざるを得ないという状況には今のところなっていません。

 逢坂 〔身を乗り出すようにして〕 ああ、それは良かった。

 玄素 内部改革で、2000万円から3000万円の経常経費の削減を就任後の3ヶ月で(検討を)やっているんですけど、(向こう)10年~15年間はまあ(合併しないでも財政的に)やっていけると考えています)。

 万が一、合併の話が持ち上がっても(印南町としては)財政的に有利な状況で交渉できます。まあ、上から道州制の枠がはめられてくればどうなるかは分かりませんが。

 逢坂 財政の調子が良いって言うのは、そりゃまあ、いいですなあ。

 玄素 これまでは、ひも付き補助金といえばひも付き補助金なんですが、交付税償還のいいような事業を選択して、単独事業をほとんどやってなかったんですよ。(国・県の支出が多くて)町の支出が少ない事業を選択していたようなところがあってその辺は(財政抑制策としては)しっかりやっていたと思います。

 逢坂 あと、職員の資質を上げるって言うのが非常に重要だよね。最終的には自分に返るだけでなく、将来の遺産として残りますからね。

 玄素 何をすれば効果的なんでしょうか? 5000万円、1億円の経常経費の削減をやっていく中で、職員にお金に対する意識を持ってもらうことが大事だと思っています。

 そこで、逢坂さんに教えて頂きたいことがあるんです。私は職員の研修制度にかかる予算は2倍~3倍にしてもいいと思っています。逢坂さんは職員研修はどのようにやられましたか?

 逢坂 3つあって①座学②交流③実践です。

 座学は地域づくり活性化センターで「悉皆研修(全員研修)」をルール化しました。

 交流というのは、組織の中に異物を入れるというもの。同じ文化の中にいる人は外の世界の人を知らない。交流には「行く交流」と「入れる交流」がありますが、一番いやなのは海外の研修生を町に受け入れることです。これはめちゃくちゃ面倒ですよ。

 たとえば、僕の頬の中のタンパク質をヘラでとって、他人の体に飛ばせば、タンパク質は拒絶する。タンパク質だって「自己」と「非自己」を分けるでしょう。

 でも、それが新鮮で、やがて研修生を受け容れていく。そうすると、翌年には「なんだ今年は研修生いないの?」って言われるようになってくる。これは大変な変化ですよ。異物を入れると恒常的に異物を求めるようになってくる。

 玄素 〔メモを取る手を休めずに〕はい。

 逢坂 「実践」というのはプレゼンテーション能力ですね。怒られるという能力も必要かも。実践からモノを学ぶ。ただし年長の職員だけでなく、全世代がやらないと。何とかなるものですよ。研修計画書をつくった研修と、自主的に手を上げた職員が受けられる研修を上手く取り合わせれば、職員のパワーアップにつながります。

 町長である自分が分かっていても相手に分かるとは限らない。だから私は時には、職員への指示は黒澤明の絵コンテのようにイラストも入れて具体的に紙に書いて渡してましたよ。そうすれば具体的に手取り足取りやっていける。そういう職員が周りに入ることが大事。




[参考資料=黒澤明の絵コンテ]伊万里市のホームページ(http://www.city.imari.saga.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1181119719720&SiteID=0&ParentGenre=1000000000134)から部分的にお借りしました。

 玄素 そうやって足腰の強い自治体をつくっていくのは大変な苦労ですね。

 逢坂 そうですね。

 玄素 ・・・

 逢坂 でも、まあ・・・なんとかなるもんですよ(笑)。

 玄素 [ホッとした表情で]ぜひこれからも教えて下さい。

 逢坂 もちろんです。さて函館行きの飛行機に乗らないといけないので、出ます。いつでも寄って下さい。

 玄素 きょうは本当にありがとうございました!

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関連エントリのご案内です。

逢坂さん)
2008年2月1日付
【つなぎ法案騒動】逢坂誠二前ニセコ町長の鬼の形相
2007年10月24日付民主党代表、札幌から全国行脚スタート 候補擁立記者会見

玄素さん)
カテゴリ 
最年少町長さんの誕生(2008年2月)告示前から当選後までつぶさに記録しました!

 上のカテゴリの中のエントリ 
 2月24日付本記
【最年少首長】34歳・玄素さん、和歌山県印南町長に当選
 2月27日付【思い出写真館】
 2月17日付「850万円(税込み)」2階建ての町政への関心

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【夢の対談】新旧最年少首長、改革のバトンをつなごう(前編)

2008年07月26日 00時30分00秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

[写真左は玄素彰人・印南町長、右は逢坂誠二衆院議員(前ニセコ町長)]

 全国最年少首長の玄素彰人・和歌山県印南町長(現在35歳=当選時34歳)が、かつての全国最年少首長(35歳で当選)の前北海道ニセコ町長、逢坂誠二衆院議員を訪ねました。

 場所は国会議員会館の最上階にある逢坂さんの議員事務所。衆院総務委員会で、地方分権改革を進める逢坂さんは、町長就任前からの玄素さんのあこがれ。夢の対談の実現に、私は「これは改革のバトンタッチだな」と感じました。
 


逢坂誠二(おおさか・せいじ) 

 1959年4月24日、北海道ニセコ町生まれ。北大薬学部卒。ニセコ町役場入庁。企画広報係長を経て、中枢ポストの財政係長に。1994年のニセコ町長選挙に出馬、現職の町長を破り当選。当時35歳は現役最年少首長だった。情報公開を一歩進めた情報共有、分かりやすい予算書の全戸配布に加え、2001年には「まちづくり基本条例」の制定に成功。自治体憲法として全国の自治体関係者から注目を浴びる。2005年9月に町長を辞職、第44回総選挙に民主党公認・北海道ブロック比例単独で立候補、初当選。衆院総務委員。次期総選挙は、健康上の理由で引退する金田誠一さんの後継者として北海道第8区(函館市など渡島支庁・檜山支庁管内)に国替えし、出馬する。




玄素彰人(げんそ・あきひと) 

 1973年4月17日、和歌山県印南町生まれ。明大政経学部卒業後、新進党東京第11総支部職員を経て地元・二階俊博衆院議員の秘書に。2001年、印南町議に当選。2005年町長選に出馬、800票差で次点。商社設立後、2008年2月の町長選(町長の病気辞職により前倒し)に出馬し、前職後継候補との一騎打ちを制し、初当選。全国現役最年少首長(7月現在)となる。党籍は無所属。


 【逢坂誠二さんと玄素彰人さんの対談スタートです】

 玄素 私が2年半前、最初の町長選挙に出るときに、周りの人から「玄素君、町長選に出るんなら、ニセコの逢坂さんの本を読んでおいた方がいいよ」と言われ、数冊読んで勉強しました。きょう初めてお会いできて光栄です。

 逢坂 こちらこそ。まずはご当選おめでとうございます。

 玄素 ありがとうございます。逢坂さんが町長選に出たきっかけは?

 逢坂 私はニセコ町の職員だったんですが、31歳の時に町長選がありました。役場内で「今の町長はちょっと駄目だ。新人候補を出そう」という話が持ち上がっていたんです。私はそのとき「今の町長の方がましですよ」と意見したんです。そうしたら「お前は何だ。みんなが現職以外を担ごうと一つになっているときにお前はとんでもないやつだ」と言われた。

 玄素 そのときの新人は選挙に勝ったんですか?

 逢坂 そうそう。現職町長は当時2期目だったんですが、いったん「降りる」って言っちゃって、支持者に説得されて1ヶ月前になってからまた出馬を決めたんで、準備不足だったんだよね。

 私はそのとき(31歳)にはもう役所に見切りを付けて、現職町長に「私はおいとましますんで」と辞表を出していたんです。そうしたら現職町長が「俺はどうしてもやりたいことがあるので、もう1期やる。悪いけどもう1期(4年間)だけ俺と付き合ってくれ。4年経っても、お前はまだ35歳だろう。そのときは(町長選に出たり、辞めたり)お前の自由にしていい」と言う。

 年長の町長にも逆らえないし、「じゃあおつきあいします」と言ったら、その町長が選挙に負けたんだよ。私は職員だから、選挙運動はしなかったんだけど、私のことを気に入っていた町民がみんな私を嫌いになった。
 ところが(新しい町長が就任して)2年、3年と経っていくと「あのとき逢坂が言っていたことが正解だったんじゃないか」と(言われた)。みんなで新人を担いだけど、(町長になってからの仕事ぶりは)「こりゃ、とんでもねえ」と。

 新しい町長のメッキがはがれてきた。そうこういているうちに35歳のときに私がやることになったんだけど・・・ まあ選挙はいろいろあるわね(苦笑)。

 玄素 本当にそうですね(苦笑)。


[逢坂さんの著作は一部の自治体関係者では“バイブル的存在”]

 逢坂 町内にご親戚は多いんですか?

 玄素 いやあ親戚は奥さんの方が多いくらいで。家内は隣の市の職員なんですけど、出身は印南町ですから選挙はやりやすかったです。次点と116票差でしたから、家内の親戚票がなければ大変だったなとつくづく思います。

 まあ選挙といっても、(公示後ではなく)その間ですよね。僕は一度浪人していますから。32歳で出て駄目で、2年半、自分の会社を立ち上げたり、それなりに準備ができたというのも(勝因として)ありますけども。

 その間も家内は市役所の方に勤めていてくれたんで、それで安定的な生活はできたんですけども。

 逢坂 私はね、実は地元に親戚が一軒もなくて、両親も全然ニセコと関係ない人なんです。

 玄素 そうなんですか!

 逢坂 よく「選挙には不利だ」と言われていたけれども、たしかにそういう意味での不利さはあったけど、でも、かえって良かったと今でも思っています。そのことが結果的に当選した後、私を縛るものが何もなかった。

 玄素 親戚が多いからと言って、良いとも限らないですね。

 逢坂 他人同士は元々仲良くしないのが当たり前。だけど、親戚同士の仲が悪くなると、その溝っていうのは、グランドキャニオンより広い溝になるからね(笑)。

 玄素 同感です。

 逢坂 どんな選挙したの?

 玄素 僕はもう徹底的にどぶ板選挙をしました。町内をずーっと(前哨戦で)3回、4回まわって、まあ、(当時の)町長がすでに入院していたという関係もあって、「早く準備してほしい」という支持者の声もあったんです。

 前回(2006年町長選)もその1年前から手を挙げていましたから。町民の顔と住所と家族構成というのはだいたい頭の中のデータベースに入っているんで。町長になってからも、「○○地区の○○さんが来られた」って聞くと、すぐに、「ああ、あそこの家の前の溝(の話)ね」って言えるっていうのは、徹底的などぶ板のおかげだなと思います。

 前回町長選は、自分自身ローカル・マニフェストを書いて、「これでもか!」っていうくらい自分自身作り上げたものを「何だこんなもん、できやしないじゃないか」、「絶対無理だよ」って言われながら貫いたんですけど。それで(前回)落ちた経緯があったんで。これ(マニフェスト)だけじゃだめなんだな、と初めて分かりましたんで。

 それでハイブリッド(混合)型で、現実を見据えた選挙をやったつもりです。

 逢坂 やっぱり選挙は会うのが一番。大きい選挙でも小さい選挙でも会うのが一番だと思うけどね、私はね。

 私の選挙で最初に出たときは私を支持してくれた町議っていうのは1人だけで、あとの町議は全員向こう(対抗馬)。私を推薦してくれた団体はゼロで、有権者と会うことすらままならない。

 玄素 そうでしょうね。

 逢坂 でもあるときから、会ってもらえるようになった。2ヶ月ぐらいの準備期間しかなかったけど、やっぱり「会う」ということだけで(反応が)変わっていきますからね。やはり会うのがイチバン。

 ――昨年から町長選でもローカル・マニフェストを配れるようになりました。前哨戦で後援会作成のチラシで、ミニ懇談会を町内全地区でやって浸透することができたようです。ただ、マニフェストを説明するのではなく、はじめに質問をしてもらって、それに玄素候補が返答するという「Q&A方式」をとって、それが良かったようです。(宮崎)

 逢坂 私の時はマニフェストはなかったけれど、まさに同じような感じですね。会って話が出て質問に答えて、答えたものを政策に入れ込んで、次回会うときに「あなたの意見を入れて、こんな政策に進化しました」みたいなことをやり続けた。

 玄素 前職の支持者は、なかなか会ってくれないですから。

 逢坂 で、私は「逢坂を『支持する、支持しない』は言わなくて良い」と言ったんです。私の話を10聞いたら、相手(対抗馬)の話を10~20聞いてくれ。同じ視点で聞いてみてくれ。で、どっちが良いかは投票箱の前に立ったときに考えて。やはりどっちを支持するか色を出すのは難しいところがあるんですよ、話を聞きに行っただけで、非難されるようなところもあって。

 玄素 田舎というのはどうしてもそういうところがありますね。その後は選挙は?

 逢坂 2回目からは無投票でした。

 玄素 そうですか![少しうれしそうな表情]

 逢坂 一度なってしまえば“現職中心主義”みたいなものがあるからね。

 玄素 そうでしょうね。


[夏のニセコ町=株式会社ニセコリゾート観光協会HP]


[冬の印南町=宮崎信行撮影]

 逢坂 で、町長になってどうですか?

 玄素 就任してから3ヶ月。馴染めないところもありますが、自分で「長」だなと思うのは、私のところのような小さい町でも一つの課題について、「調べてほしい」、「こういう所(目標)まで持って行きたい」と言えば、すぐに情報が上がってくる。160人ぐらいの職員がいます。そこから吸い上げられる役所というシステムは良くできたものだな、と感じることがよくあります。

 町議や代議士秘書のときには、そうそうすぐに上がってくるところはありませんでした。

 逢坂 自治体というのはどんなに小さくても数十名から百名のスタッフがいるわけですよね。ある意味、国会議員より戦力は多いんですよ。いろいろな(職員の)力の濃淡はあるかもしれないでしょうが。

 玄素 町長の決裁が必要な書類も以前は「20万円以上」だったのを「1円以上」にしたもんですから、(両手を広げて)こんなに(書類が)上がってくるようになって、一日出張に出かけただけでも、大変な量になってしまいます(笑)。

 ◇

 この後、「決裁書類を1円以上にした効用」を語る玄素さんに、逢坂さんは「だから政権交代があるのはいいことなんだよね」と応じました。

 さて、その意味とは? 夢の対談(後編)へ。

(前編の初投稿日時は7月11日)

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それからの“第二の故郷” デモクラシーの川上で

2008年06月29日 22時00分00秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

 今週は旅行の予定があるんで、インターネットでいろいろ調べごとをしています。

 そうすると、何となく前回2月の旅行先のことが頭に浮かびました。

 2月、和歌山県印南町(いなみちょう)に現役最年少町長さん(市区町村長を含めた最年少首長)が誕生してから、もうすぐ半年。読売新聞のデータベースを見ていたら、選挙の1週間後にこんな出来事があったと分かってビックリしました。

(引用はじめ)
2008. 03. 08
 「印南町選管委員4人が辞職」
 
 印南町選挙管理委員会の委員3人が、「一身上の都合」を理由に2日付で辞職願を提出し、6日夜の臨時委員会で認められた。これを受けて、滝口茂昭委員長(61)も辞職した。
 後任は6月の町議会で選任される見通しで、それまでは補充員3人が委員として同選管の業務に当たる。滝口委員長ら4人は、昨年12月に選任されたばかりだった。
(引用おわり)

 改革を訴えた前町議(34)が、前町長の後継者である前教育長(64)に116票差で当選し、町長に就いた2月24日のちょうど1週間後の3月2日付で、選管委員全員が辞表を提出したのです。在任わずか3ヶ月間。これには驚きました。

 地方自治法は、選管委員の任期は4年で、人格が高潔で政治及び選挙に関し公正な識見を有するもののうちから、自治体議会が選挙する、と定めています。

 1年半以内に衆院選、1年半後には町会選が予定されているのに、デモクラシーの正統性を保障する選管委員がこのようなことでは困ります。

 次に6月には次のような記事が出ました。紙面の扱いは「3段見出し、40~50行、写真付き」だったようです。「町」としては大きな扱いです。
 インターネット上には出ていないようですから、長文ですが全文引用させていただきます。

(引用はじめ)
 2008. 06. 03
 印南町、住民票を自宅にお届け 印鑑証明も 高齢、障害者世帯など=和歌山

 印南町は2日、高齢者世帯などを対象に、住民票や印鑑証明を宅配で交付するサービスを始めた。町役場まで出かけるのが困難な高齢者や障害者の家庭に、職員が届ける。県内で初めての試みという。
 印南町の高齢化率は29・3%(3月末現在)で、65歳以上だけの世帯が全体の4分の1以上を占める。役場まで車で40分以上かかる地域もあり、車の運転免許を持たない人も多い。「役場まで出かけるのがひと苦労だ」との声があり、宅配制度を導入することになった。
 対象は、65歳以上だけの世帯、要介護認定を受けた人、障害者、療育手帳を持っている人などで、電話やファクスで受け付ける。申し込みが午前中ならその日のうち、午後なら翌日の午前中に職員が自宅へ届ける。交付手数料(200円)は必要だが、配達料金はかからない。将来的には、戸籍謄本の宅配も検討する。
 町住民課は「宅配は年間約40件と見られ、職員の大きな負担にはならない。お年寄りらの家を訪ね、話が出来る方のメリットが大きい」としている。
 
 写真=住民票の交付などを受け付ける印南町役場の窓口。高齢者世帯や障害者を対象に宅配も始めた 

(引用おわり)

 そういえば、うっかり書き忘れていました。

 選挙から一週間か十日ほどした頃でしたでしょうか。印南町在住の「Kさん」と名乗る老紳士からお電話をいただきました。
 「名前だけ言っても、私のこと思い出せないでしょう?」というKさん。
 お顔を拝見すれば分かるんでしょうが(^^;) 選挙事務所は出入りが激しいので、分かりません<(_ _)>

 で、そのKさんは「あれからTVに取り上げられたり、印南もだいぶ変わってきましたよ」と選挙後しばらくの町の変化を教えてくださいました。

 Kさんは「どうですか?東京に戻って。印南より東京の方がずっといいでしょう?」と難しい質問をしてきました。
 「私の場合は東京は故郷ですから。誰だって故郷が一番良いでしょう」と答えると、Kさんは「それでは、印南町を第二の故郷だと思ってくださいね」とおっしゃってくれました。

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「カンソク」に玄素印南町長のインタビューが載りました

2008年03月24日 15時53分20秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)
 時事通信社が出している官庁速報は、国政での「朝日」、金融での「日経」のように、自治体に関するスタンダード媒体です。

「中央官庁→自治体」
「自治体←→自治体」
 の情報の流れはこの「カンソク」で出来ています。

 おそらく全国1800自治体のうち、ほとんどがとっていると思います。

 TVで見ていると、一匹狼っぽい首長、例えば石原都知事が、全国知事会などで突如、一致団結しているようにみえることがありますよね。それもカンソクがあるからです。都知事がカンソクを読んでいるかどうかは知りませんが、側近は目を通しているはずです。

 さて、時事通信の「官庁速報ヘッドラインメール」が届きました。
 最年少首長、玄素彰人・印南町長(いなみちょう)が出ました。

 時事通信の自治体向け電子媒体の「iJAMP(アイ・ジャンプ)」では、2月28日に配信されたものです。
 とても丁寧で分かりやすい記事なので、引用させてもらっちゃいます。

〔以下、時事通信官庁速報ヘッドラインメールから引用〕

    玄素彰人・和歌山県印南町長

  ◇34歳、全国最年少の町長が誕生

 紀伊半島中部、太平洋沿岸に位置する和歌山県印南町(9400人)。前町長の辞職を受けて実施された2月24日の町長選挙で、無所属・新人の玄素彰人(げんそ・あきひと=34)元町議が当選した。現職では全国最年少の町長となる。

 理想は「住民参加型の町政」。選挙を前に町内25カ所で懇談会を開き、約800人と語り合った。「町民との対話を通して、住民の要望と行政の考えに溝があると感じた」という。「今の行政には広報より“公聴”が足りない」と指摘する。今後も懇談会を続けるほか、町長の諮問機関として「町民会議」を設置したいと考えている。

 まず取り組む重点施策には、「地デジ問題」「雇用対策・保育政策」「高齢化政策」の3つを挙げた。懇談会で町民から特に要望が強かった項目だ。

 地デジ基盤の整備では、「個人負担が7~8万円になる世帯もあり、テレビを唯一の娯楽にしている人が見られなくなる可能性もある」と心配する。「町長となったからには、情報化社会に対応するための施策は行政の責任でやっていく」と断言した。行財政改革にも意欲的で、「予算の600項目の中に無駄がないか見直し約2億円を引き出し、09年度予算では政策経費に回す」としている。

 まだ34歳。「若さを生かして、積極的に陳情やトップセールス活動をこなし、産品の販路開拓や企業誘致に取り組みたい」と語る表情は気迫に満ちる。同町は、キヌサヤエンドウ、ウスイエンドウ、ミニトマト、梅など特産品が多く、農業所得は高いが、認知度が低い。観光資源も少なく、地域振興策をどう打ち出すかが今後の大きな課題だ。「今目を付けているのはかつお節と真妻わさび。目立たないが、実はいずれも印南町が発祥の地」。町が持つ隠れた魅力をどう引き出すか、若さあふれる町長の手腕が注目される。

 〔横顔〕1973年4月17日、印南町で生まれる。東京の大学を卒業後、新進党職員に。同県選出衆議院議員の秘書を経て、2001年に印南町議会議員に当選。05年の町長選に立候補するも敗れ、今回2度目の挑戦で当選した。座右の銘は「至誠天通」。音楽鑑賞が趣味で、オペラからポップスまで幅広く楽しむ。
 〔町の自慢〕温暖な気候に恵まれ、農水林業など自然を生かした多くの産業に恵まれていること。

 〔ホームページ〕http://www.town.inami.wakayama.jp/
(和歌山支局・江藤綾香)

〔引用終わり〕
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【思い出写真館】

2008年02月27日 19時54分46秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

 「思い出写真館」をアップします。


僅差の勝利。僕の感触としてはダブルスコアもあり得ると思ったのですが・・・

 ◇


 当確から10数分後の歓喜の輪。
 「当選確実(確定)」の一報が入った瞬間は、

 百人がジャンプしながらガッツポーズ。
 「勝ったでー!」 「やったやった、ほんまに勝ったんか!?」

 抱き合う人、ケータイ電話を取り出し大切な人に連絡する人。
 生涯忘れないであろう光景です。

 ◇


 自慢の夫人の肩を抱き報道各社のリクエストに答える玄素君

 ◇


マイクを持ち、あいさつする新・町長

 ◇


NHKのインタビュー(町役場内)。
「当確」からわずか1時間半後の光景です。



 翌日付の地元紙「日高新報」さんです。
 選挙中も良心的な報道を続けました。
 この紙面に掲載した写真の構図から分かります。

 ◇

 和歌山県は私たちの親戚にとってあまり良い思い出のない土地でした。私の母方の祖父は国鉄職員で設計・建築の技師をしていました。「3ちゃん農業」のはしりみたいなもので、昭和10年前後だと思いますが、長野の自宅を離れ、紀伊半島を転々としながら仕事をしていました。当時では珍しい単身赴任です。国鉄から与えられた任務は峻険な紀伊山地とその海岸線のわずかな平野部に鉄道(紀勢本線)を通すことです。祖父がしたのは、プラットフォームの設計と現場監督。実際の仕事にあたる人の多くは現地採用ですから、コミュニケーションのためにお酒を飲む機会が多かったようです。謹厳実直で無口な祖父はいつしかアルコールなしでは生活できないようになってしまいました。長野に帰ってからは毎日、サントリーの「オールド」を一本空けるようになってしまい、酔っぱらって大事な製図を用水路に落としたり、転んで歯を折り血だらけで帰宅したり、長野から各駅停車で一駅なのに、碓氷峠を越えてなんと上野駅まで乗り過ごしまったり、とことが度々あったというさんざんな国鉄人生となりましたが、55歳定年まで勤めました。定年後の夢は「自分が設計した紀勢本線に列車が走っている光景を一度見てみたい」。家族で紀勢本線一周旅行に出かけたのが一番楽しい思い出だったようです。その後鉄道弘済会に10年間勤めたあと、隠居。そのころ、東京で私が生まれたので上京し、毎日のように世話をしてくれたそうです。祖父は長年のアルコールがたたり、その2年後、67歳で肝臓癌でなくなりました。長野で開かれたお通夜のさいちゅうに私はよちよちと自分の脚で歩き出し、親戚をびっくりさせました。早速、祖母は霊前に報告、親戚たちは「生まれ変わりだ」「将来酒飲みになるんじゃないか心配だ」と口々に言ったそうです。幸い私はお酒はたしなむ程度です。子どもの頃、謹厳実直な黒縁メガネの祖父の遺影と酒飲み伝説のギャップが不思議でなりませんでしたが、私も齢33にもなると、謹厳実直な男が酒に走った意味は分かりすぎるほど分かるようになりました。

 5年前、まだ社員記者のころ、久しぶりに休みが取れ、南紀白浜に遊びに来ました。玄ちゃんに頼んで、クルマで白浜駅に連れて行ってもらいました。「神戸」ナンバーが目立つ白浜は関西で一番良い海岸だといわれます。この駅は紀伊山地の崖と海岸線が数キロしかない地域に立地しており、きわめて難工事だったと予想されます。そしてプラットフォームも直線→カーブ→直線→カーブ→直線と2回カーブ。始発列車を出すために「1番線」「2・3番線」とプラットフォームが2面ある同線では珍しい作りの駅です。今はモダンな駅舎になっていますが、プラットフォームのコンクリートの基礎部分は開通当時から変わらないとJR西日本の駅員が教えてくれました。玄ちゃんに車で待ってもらって、改札口から身を乗り出すと紀伊山地の向こう側からとても不思議な感じの風が吹き下ろしてきました。調べてみると、白浜駅は祖父の設計ということでほぼまちがいなさそうです。僕は運命的な出来事はたびたびあったのでそれがどうという訳ではありませんが、今回もおじいちゃんが僕を守ってくれた気がしました。


 ◇



どうぞみなさん、印南町にお出かけください(お帰りください)。

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“デモクラシーの担い手”

2008年02月27日 16時26分53秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)
(写真は紀伊民報)

 東京でパソコンをカチカチやっていたら、こんな記事を見つけました。
 紀伊民報のこの記事が、今回の選挙戦とその背景を分かりやすくまとめていると考えます。

【紀伊民報】印南町長に玄素氏 「若さ」前面に勝利

http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=141168(紀伊民報)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080225-00000001-agara-l30(Yahooニュース)

 前町長の辞任に伴う印南町の町長選挙が24日投開票され、玄素彰人氏(34)=無所属=が森尾正稔氏(67)=無所属=を116票差で破って当選した。現職では全国最年少の首長となる。当日有権者数は7678人、投票率は87・67%で前回(2005年)を2・69ポイント下回った。

印南町長選開票結果
確定
当 3,394 玄素 彰人 34 無新 (1)

   3,278 森尾 正稔 67 無新  

▽有効6,672 ▽無効59 丸数字は当選回数(敬称略)


 玄素氏は町政刷新を旗印に、基盤整備の遅れた情報化社会への対応、育児環境改善や働き場所の確保などの人口増加策、財源確保のための町財政改革を訴えた。また若さを前面に出して各地区でミニ集会を開く草の根運動を展開。質問に対して具体的な施策を打ち出し行政手腕をアピール、住民の支持を広げた。森尾氏は前町長の支持基盤を引き継ぐ組織戦を進め、農林漁業の振興などを訴えたが及ばなかった。

「地デジ対応に期待」 仁坂知事

 印南町長選挙で元町議の玄素彰人氏(34)が初当選したことを受け、仁坂吉伸知事は25日、玄素氏が公約で地上デジタル放送の整備促進を掲げていたことから「計画の空白地になっていた地域で、地デジ対応に期待したい」と述べた。

 総務省が昨秋に公表した「地上デジタルTV放送市町村別ロードマップ」によると、2011年のデジタル放送の切り替え時に県内の地デジカバー率は全国最低の96・1%になる見通し。印南町では1000世帯を超える難視世帯が発生する可能性があるとされている。

活気ある町政を

 解説 

「改革」を訴える若手元町議と、前町長の跡を継ぐ前教育長の激しい選挙戦。「沈滞する町をどうにかしたい、してほしい」という住民の思いが、全国最年少の首長という若いリーダーを誕生させた。

 取材を通じて住民から聞いたのは「町に活気がない」という嘆き。印南町は過去、自主財政再建団体に陥った苦い経験から節約財政に努め、財政の優良さは県内の自治体でも上位になった。そのつつましさの半面、町の衰退も進んでいる。

 人口は2005年までの5年間で600人減った。若者は減り、町立の2つの幼稚園と、4つの保育園はいずれも定員を大きく割り込んでいる。高速道路の延長で、国道42号の交通量が減り、閉めた店もある。

 町の補助金で運営していた町最大のイベント「しょくの祭典」は打ち切られ、交流人口がなくなったという。情報網の整備の遅れに不安も募る。「町がマスコミに取り上げられることもなくなった。陸の孤島だ」という悲痛な声も聞いた。

 住民の改革への期待は大きい。これまで築いてきた健全財政を崩すことなく、町を浮上させるという難題に取り組まねばならない。玄素彰人氏は合併について、当面は単独との考えを示している。予算項目の見直しなどで、地上デジタル放送の対応や保育施策、企業誘致などに取り組むと公約している。ぜひ、実現してもらいたい。

 町内では積極的な地域づくりが評価され、農林水産省などから表彰される地域もあり、人を呼ぶ催しをしようと動きだしている住民もいる。まちおこしに向け、こうした住民の意欲を引き出すような活気ある町政を期待したい。

最終更新:2月25日17時1分

紀伊民報 

 ◇

 今思うと、紀伊民報編集部の湯川優史記者、みなべ支局の横出祥子記者が精力的に取材する姿をよく見かけました。こまめに候補者、選対だけでなく、町民と懇談していました。

 「事件は現場で起きている」でしたっけ?

 こういうジャーナリストの存在を知るとホッとするし、僕も若返って両記者の姿を見ならわないといけないな、と感じます。

 日本の新聞は自由民権運動の政党機関紙が発祥です。
 新聞がなければ、帝国議会・国会も存在しなかった。

 今もむかしも、新聞が“デモクラシーの担い手”であることは言うまでもありません。
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東京に帰りました

2008年02月26日 16時29分04秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

 東京に帰りました。
 やはり故郷はいいですね。
 
 川は流れる。
 僕は埼玉の人の話や、埼玉のFMなどを聞くとほっとしますね。
 やはり荒川の源流が奥秩父だからだと思います。

 というわけで、予算委員会などが緊迫してますが、私自身が流れをつかんだなと感じたところから国会傍聴記を再開します。

 さて、関西定点観測(大阪、和歌山)ですが、やはり黄色信号と言わざるをえないでしょう。
 マネーも人も明らかに減っている。
 黄信号が赤信号に近づいている感じがしました。

おかげさまでベスト10を維持しています。
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タフネスガイ

2008年02月25日 13時56分29秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)
当選証書付与式のエントリでも書きましたが、前職辞職による町長選挙でしたので玄素彰人さんは既に町長。きょうから早速仕事です。ほんとにタフネスガイです。
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NHKのインタビュー

2008年02月24日 23時05分48秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)
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当選証書付与式

2008年02月24日 22時49分08秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)
町役場で速やかに当選証書付与式。前職の辞職による選挙なので現在、町長が空席。そのための速やかな措置です。
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【最年少首長】34歳・玄素さん、和歌山県印南町長に当選

2008年02月24日 21時41分00秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

 和歌山県印南町長選挙が24日投開票され、元町議で会社経営の玄素彰人さん(34歳)が初当選しました。

 新人2人が立候補した「前教育長(67)」vs「前町議(34)」の27年ぶりの一騎打ち。

 公然と「脱しがらみ」を訴えた玄素さんに軍配が上がりました。

 写真は玄素彰人さんのホームページから。

 玄素彰人(げんそ・あきひと)さんは1973年4月17日生まれ。
 全国1800自治体の中で、最も若い首長の誕生です。

 きょう時点での最年少首長は新潟県三条市・國定勇人市長=1972年8月30日生まれ=の35歳。

 過去には1952年に「25歳町長」という記録があります。
 ちなみに玄素さんは「二世政治家」ではありません。

【少子高齢化と人口減少が続く印南町】


 印南町の有権者は7,750人(うち女性は4,100人)。

 西側に中心地・印南漁港、東側は紀伊山地と広大で細長い面積110平方キロの町です。森林と漁村が併存し、限界集落を抱えながら、多目的ダムが建設され、水没予定の世帯もある。

 ある意味、“日本の縮図”と言っていい自治体かもしれません。

 対抗馬の前教育長は任期半ばで病気辞任した前町長の後継者として「話し合いによる町政」を訴えました。

 自民党の二階俊博総務会長の後援会「新風会」が推薦し、多くの組織の推薦を取り付けましたが、敗れました。

【25回のミニ懇談会に800人】

 玄素さんは2年半前の町長選で獲得した3,084票を基礎に、前職の辞表提出後、25カ所でミニ懇談会を開催。総計800人と対話しました。

 「(候補者)1人 対 全有権者 」

 という構図をえがき、組織推薦は有志の会などを除き受けませんでした。

 地勢上、関心が地区によって違うため、ミニ懇出席者の質問に答える形でローカル・マニフェストを説明したり、要望を聞いたりしましたが、「すべての質問に答えた(回答できた)ので驚いた」(後援会員)とのこと。
 政策通をアピールして、「町長には若い」という批判を一部にとどめました。

 年長の町議・県議数人も親身に応援。街頭で堂々と「みなさんのおかげで町会議員に当選させてもらったけど、脱しがらみには、町議では限界があるんです」と訴える町議もいました。改革への志を共有できていたのも勝因のようです。

【玄素彰人さんのプロフィール】

 玄素さんは印南町出身。県立日高高校、明治大学政経学部政治学科を卒業し、新進党東京11区総支部で学生ボランティアから職員に。
 朝日新聞政治部でのアルバイト経験もあります。

 和歌山県に帰郷し、代議士秘書のあと、28歳で町議会議員に当選しました。

 町議会の初質問では、のっけから「古代ギリシャのソクラテスとアリストテレスは~~」とぶちかまし、非凡なところを見せました。

 32歳で町長選に出馬し、次点に終わった後は、会社を設立・経営し、次の町長選に備えていました。妻と長男の三人暮らしで、子育てまっ最中でもあります。

 玄素君と私は互いに学生として新進党総支部でボランティアをしていたころから15年来の付き合いです。

 街頭演説でも、地区ごとに話題や政策を変えており、その成長ぶりや、驚嘆に値しました。家から飛び出して街宣車に向かって手を振ってくださる支持者の方々の姿をみて、感動しました。

 就任直後に予算議会(3月定例会)が始まりますが、彼ならきっと大丈夫でしょう。

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新町長

2008年02月24日 21時15分19秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)
新町長のあいさつ
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当選

2008年02月24日 21時07分45秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)
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