「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

激動の南アメリカ

2006-11-18 16:00:20 | Weblog
10月29日、ブラジルの大統領選挙でルラ大統領が大差で再選された。
11月5日、ニカラグアで16年ぶりにオルテガが大統領に返り咲いた。
過去には「アメリカの裏庭」と称していた南アメリカが大きく変動している。
これらの象徴的な出来事が1998年ベネズエラの大統領選で現在のチャベス大統領が勝利して以来、引き続き大きなうねりが繰り返されている。

南アメリカ大陸は13の国で構成されている、それぞれは豊富な天燃資源に恵まれ、ポルトガル、スペインの植民地として長くその支配をうけていた。
独立後は、さまざまな形での支配や干渉を受けていた、それは「新自由主義政策」といって、膨大な赤字を抱える政府に対して、極端な緊縮財政、補助金の廃止、総需要抑制政策、市場原理の徹底、規制緩和、貿易の自由化、金融・経済活動の自由化などを強要する政策である。

豊富な資源の多くは外資に握られ、貧富の差はますます拡大されていった。
国連の貧困の定義は、「1日1人当り2ドル以下の収入しかない家庭」を貧困とみなし、「1日1人当り1ドル以下の収入しかない家庭」を絶対的貧困層とみなしている。

再選されたルラ大統領は「この政権は貧困層を優先する」といった、ニカラグアのオルテガは「最も野蛮の敵である貧困、飢え、失業と戦う」といった。
彼らの多くは、アメリカが唱える「新自由主義政策」ではいつまで待っても豊さがこないことを見ぬいてしまった。

ベネズエラの首都カラカスにランチョという貧民窟の掘たて小屋が無数に存在する、写真で見ただけだが、昨年、インドのムンバイに行ってで見たスラム以上で、100万人の人口の40%がこのランチョにすんでいるという。

ベネズエラの経済成長率は1980年代マイナス0.7%であった。実質賃金も大幅に減少し、貧困は一層増大した。
1992年には実に国民の80%が貧困層となり、しかも44%は絶対貧困層であった。

私達がベネズエラで思い出すことは、大リーグでも日本のプロ野球でも、優秀な選手がたくさんいることだ、今年メジャーの投手部門3冠(勝星・防御率・三振奪取)に輝いたツインズのサンタナ、彼は2度目の「サイ・ヤング賞」を16日受賞した、あまりにも有名なソーサー、彼はたくさんのお金をベネズエラに送金し貧しい子供達のために使った。
日本では西武のカブレラ、元ヤクルトのぺタジーニ、などいずれも大変な選手である。
また、美人が多いということも有名だ、ミス・インターナショナルやミス・ワールドでベネズエラの女性が何度も栄誉を獲得している。
1960年代によく歌われた「コーヒールンバ」はベネズエラの代表的な曲だ。
ベネズエラと聞いて思い浮かぶことはこんなものだが、ぜひ新しい一人の名前を覚えて欲しい「ウーゴ・チャベス」80%以上のベネズエラ国民の支持を獲得している大統領だ。

ベネズエラは1999年国の名前を「ベネズエラ・ボリーバル共和国」とし、新しい憲法を採択した。
ボリーバルとはスペイン植民地からラテンアメリカを独立させた「独立の父」開放者であり、共和制を推進し、ラテンアメリカの統合を夢見た英雄と紹介されている。
ボリーバルは大変な資産家に生まれ、早くに両親をなくしたが、資材をなげうって社会の改革に取り組んだ、大土地所有の解体、資源の国有化、奴隷解放を進めた。
チャベスはこのボリーバルを尊敬し、自らが推進する社会改革の総称として「ボリーバル革命」と呼んでいる。
この革命の中で貧困、雇用、教育、医療、大土地所有の問題が大きく前進している。

人民の店では市場価格の50%で一般地域住民に、基礎食料、生活必需品を販売している。これまで700万人の上る貧困層の生活支援を図っている。
その他、最貧困層のための救済策として無料の「人民の食堂」が100%政府の資金によって設置されておりこれまで50万人が利用している。
豊富な石油資源を国有化しその財政を、国民の生活と暮らしのために有効活用をしている。
私はチャベスが21世紀のなかでも最もすぐれた政治家の一人だと思われる。

ベネズエラに全長2500kmのオリノコ川が国を二分するように流れている、11月13日、この川にブラジルとベネズエラの共同で新しい橋が完成した、ルラブラジル大統領とチャベス大統領は式典に出席し、南アメリカの統合に引き続き努力していくことを確認しました。
南アメリカ大陸に押し寄せている変革の波は次々と社会を変化させている。
チャベスは2021年、ベネズエラ独立200年には貧困をゼロにする計画を提唱した。
南アメリカから世界から一日でも早く貧困がなくなるように、私達も出きることから始めなければ成らない。