さくら並木ネットワークのスタッフと3月8日から11日まで東北の地へ桜の植樹に行ってきました。
何度も東北の地へ足を踏み入れてきたが、いつもいつもたくさんのことを教えられ多くの感動をお土産に帰ってきます。
今回の訪問ではとびっきりのお土産を何人もの方に頂き、爽快な気分で疲れを東北の地へ置いてきたようでした。
どの植樹地でも宮城岩手の造園業者の方がしっかりした仕事をして頂き感激しました。
さくらを植える地は、水はけが悪い所が多く、ユンボで水抜けの溝を掘り、堆肥もたっぷりと使い植えてくれました。
地元住民と桜並木のスタッフが力を合わせ植え込み、しっかりした鳥居支柱で桜を支え、どのような強風にもびくともしない立派なものに仕上げて頂いた。
桜基金に寄付を頂いた賛助会員に見ていただいても納得いただける仕事だと思った。
気仙沼本吉町天ヶ沢で桜の植樹式を行った。農林水産省や桜寄贈者の全花協のメンバー、桜並木のメンバー、そして地元の多くの皆様。
3月11日を境に被災地や被災者の間で生き方や考え方に変化がでてきた。気仙沼本吉町天が沢で9人の犠牲者がでた。
一つにまとまっていた浜が震災以降、被害の度合いでまとまらなくなりました。 家族をなくした人、家を流された人、浸水した家、被害の少なかった家、無事だった家。無事だった人はいつも「無事でなんともなくてご免なさい」との思いで被災した人に接した。
何をしても意見がまとまらない気まずい関係が続きました。
私達が桜の植樹での住民集会を開いた時、最後に発言した人がこういいました「思い思いのさくらを植えるのもいいですが、みんなが前向きに生きてお花見でもしたいと思ったとき、浜のみんなが寄れる桜並木があると良いね」
別の方が「うちの土地を使ってください、海が見えて、津波が直ぐ下まで到達した地点で、広々としてお花見にはうってつけだと思います」
住民集会で桜並木、それも9人の鎮魂と地域の復興を願った桜を9本植えることになりました。
3.11の植樹式で「やっと浜のみんなが、一つになれた」といいました。私達の活動が少し、お役にたった実感がわいた。
この活動を地元で支え続けてくれた三浦君は3.11でお母様を亡くされました。その悲しみを心に閉じ込め復旧復興の先頭に立ち行動してきました。
そして気仙沼の合同慰霊祭で遺族代表の挨拶をしました。
その日の朝、彼はお母様に初めてのお別れを言ったそうです。桜を植え、「この桜にきれいな花を咲かせてください」とお願いしました。
「この桜を贈ってくれた人がこの地へ見に来てくれたとき」そして多くの人に支えられふるさとの復興を誓いました。
桜を機軸をした感動的なドラマがその植樹先で起こっている。それは想像も出来ないほどの力が桜にあることを実証した一日でした。
さくら並木ネットワークには連日さまざまな問い合わせが続いています。それはどうしたらもっと支援できるか?という問い合わせです。
仲間を増やし、支援の輪を広げ、東北の地へさくら並木を作り続けるために。
何度も東北の地へ足を踏み入れてきたが、いつもいつもたくさんのことを教えられ多くの感動をお土産に帰ってきます。
今回の訪問ではとびっきりのお土産を何人もの方に頂き、爽快な気分で疲れを東北の地へ置いてきたようでした。
どの植樹地でも宮城岩手の造園業者の方がしっかりした仕事をして頂き感激しました。
さくらを植える地は、水はけが悪い所が多く、ユンボで水抜けの溝を掘り、堆肥もたっぷりと使い植えてくれました。
地元住民と桜並木のスタッフが力を合わせ植え込み、しっかりした鳥居支柱で桜を支え、どのような強風にもびくともしない立派なものに仕上げて頂いた。
桜基金に寄付を頂いた賛助会員に見ていただいても納得いただける仕事だと思った。
気仙沼本吉町天ヶ沢で桜の植樹式を行った。農林水産省や桜寄贈者の全花協のメンバー、桜並木のメンバー、そして地元の多くの皆様。
3月11日を境に被災地や被災者の間で生き方や考え方に変化がでてきた。気仙沼本吉町天が沢で9人の犠牲者がでた。
一つにまとまっていた浜が震災以降、被害の度合いでまとまらなくなりました。 家族をなくした人、家を流された人、浸水した家、被害の少なかった家、無事だった家。無事だった人はいつも「無事でなんともなくてご免なさい」との思いで被災した人に接した。
何をしても意見がまとまらない気まずい関係が続きました。
私達が桜の植樹での住民集会を開いた時、最後に発言した人がこういいました「思い思いのさくらを植えるのもいいですが、みんなが前向きに生きてお花見でもしたいと思ったとき、浜のみんなが寄れる桜並木があると良いね」
別の方が「うちの土地を使ってください、海が見えて、津波が直ぐ下まで到達した地点で、広々としてお花見にはうってつけだと思います」
住民集会で桜並木、それも9人の鎮魂と地域の復興を願った桜を9本植えることになりました。
3.11の植樹式で「やっと浜のみんなが、一つになれた」といいました。私達の活動が少し、お役にたった実感がわいた。
この活動を地元で支え続けてくれた三浦君は3.11でお母様を亡くされました。その悲しみを心に閉じ込め復旧復興の先頭に立ち行動してきました。
そして気仙沼の合同慰霊祭で遺族代表の挨拶をしました。
その日の朝、彼はお母様に初めてのお別れを言ったそうです。桜を植え、「この桜にきれいな花を咲かせてください」とお願いしました。
「この桜を贈ってくれた人がこの地へ見に来てくれたとき」そして多くの人に支えられふるさとの復興を誓いました。
桜を機軸をした感動的なドラマがその植樹先で起こっている。それは想像も出来ないほどの力が桜にあることを実証した一日でした。
さくら並木ネットワークには連日さまざまな問い合わせが続いています。それはどうしたらもっと支援できるか?という問い合わせです。
仲間を増やし、支援の輪を広げ、東北の地へさくら並木を作り続けるために。