隆々ブログ

小平市議会議員 立花隆一の活動報告です。

1,200名以上が聴き入った、小出裕章氏らの講演①

2011-05-23 | 震災・防災

4月29日、明治大学アカデミーホールで行われた『終焉に向かう原子力』第11回浜岡原発現地報告会&講演での小出裕章氏の話は、わかりやすく、まとまっていますので以下に転載(一部抜粋)します。

◆小出氏の苦悩   ――今回のような原発事故は、いつか起きると思っていました。原発は、とてつもなく巨大な危険を抱えたものです。それゆえ原発は、都会では建設することはできず、地方に建設して電気を都会に送っています。何とか、原発を廃止したいと思って活動して来ましたが、事故を防止することができませんでした。いま、とてつもない悲劇が進行しています。私は、言葉では言い尽くせない無念さをもって過ごしています。この事故を防げなかった責任は、私にもあります。ごめんなさい。

◆原発の危険性  ――大阪から東京に飛行機で飛んで来ると、東京湾のまわりに火力発電所が並んでいるのが見えます。しかし、原子力発電所は、決して東京湾には並べられない危険なものなのです。

◆危険な原発をめぐるカラクリ  ――原発は機械です。機械は時に事故を起こします。また人間は神ではありません。人間が持っている知識は完全ではなく、時には過ちもあり、予測できない天災などもあります。だから、巨大な危険を内包している機械である原発がひとたび事故を起こせば、破局的な損害は避けられないということです。

◆チェルノブイリの悲劇  ――1986年4月26日にチェルノブイリ原子力発電所で事故が起き、当初は事故を隠そうとしたソ連も事故の大きさからそれを断念し、まず周辺30キロ圏内の住民13万5000人の人たちに避難指示を出しました。その時は『原発でちょっとした事故があったから3日分の手荷物を持って避難しなさい』というもので、人々は1000数百台のバスに乗って避難しました。しかし、その人たちは2度とふるさとには戻れませんでした。

 ――日本では当初「万一のことを考えて3キロ圏の人は避難せよ」でしたが、その後「万一のことを考えて10キロ圏の人は避難せよ」そして「万一のことを考えて20キロ圏の人は避難せよ」になりました。さらに「30キロ圏の人は自主的に避難しろ」ということになりました。自主避難とは、いったい何なのだろう…と思います。そもそも、放射能の汚染とは、地図にコンパスで円を描くようには広がらないのです。

 ――しかし、一度避難すると、もう戻れなくなってしまう可能性もある。避難の選択も苦しい…、避難しないという選択も苦しい…。私たちは、そのどちらも苦しい選択を福島の人たちに押しつける結果になってしまいました…。 

②へつづく。