冬の被災地をめぐる。宮城県石巻市の鈴木由美子さん(42)は12歳の三男、秀和(ひでかず)くんを亡くした。別々の車で逃げる途中、津波にのまれた。

 年が変わろうというのに、時間は3月から止まったままだ。

 息子が好きだったプロ野球のシーズンが、いつのまにか始まり、終わっていた。「もう落ち着いた?」と声をかけられるたび、叫び出しそうになる。前と同じ飲食店にパートで勤める。あ、学校帰りのヒデが自転車で前を通るころだ、と思い出す。でも泣けるのは、退勤のときの車の中だけだ。(略)

 警察庁によると震災の死者数は29日現在で1万5844人、行方不明者は3451人。DNA鑑定による身元判明が進み、12月に入って死者数は4人増え、不明者は156人減った。小刻みに変わる数字をみるたび、粛然とする。

■喪の作業を支える

 宮城県のある男性は、母親の遺体がやっと見つかった。「みな言うんです。『よかったね』って。何が良かったんでしょうか。遺骨が手元に届き、母親の死が、現実になったばかりなのに」という。(略)

  被災地は少しずつ復興へと向かい始めている。その陰で、一人ひとりの悲しみは、置きざりにされがちだ。

 大切な存在を失った事実を、ゆっくり受け止めながら、それぞれの速度で前へと進む。そうした「喪の作業」を、いかに周囲が支え、独りぼっちにしないか。復興の道筋で見落としてはならないことだ。(略)

  もう一つ、忘れることのできない死がある。福島県須賀川市の専業農家、樽川久志さん(64)は、3月23日夕方、政府が県産キャベツの摂取制限と出荷停止を決めたのを、ファクスで知った。晩飯のときからふさぎこみ、珍しく自分で茶わんを洗った。

■原発を問うた死

 翌朝、暗いうちに床を抜け出し、作業着に着替え、母屋を出た。携帯の歩数計は680歩を示す。本当なら収穫が始まっていたはずのキャベツ畑を、ひと回りしたのだろう。そして自宅裏の木のところへ行く。

 遺書はなかった。(略) 後継ぎは、次男の和也さん(36)。原発1号機が爆発した3月12日、久志さんは「お前を間違った道に進めたなあ」と言った。

 和也さんは、父親が毎日つけていたノートを元に、春夏秋と農作業をこなした。来春とれるキャベツは、大きく作付けを減らした。学校給食に納入していた自治体が、福島県産の野菜を使わない方針を示したからだ。ここでどれだけ、農業を続けられるだろう。

 「なぜ、線香の一本もあげにこない」。和也さんは東京電力に抗議を続けている。

 悲しみに満ちた年が、暮れようとしている。あれだけの犠牲を生んだ災害だったということを、もう一度心に刻みたい。(略)息子を亡くした鈴木由美子さんは言った。「大勢の犠牲あっての復興だということを、忘れないで」

■思いは届いているか

 野田政権は原発事故「収束」を宣言した。だが、帰れぬふるさとを思いながら年を越す人たちに、安心は訪れない。地域と暮らしの再建に向け、やるべきことが山積みだ。

 これからのエネルギーをどうするかの議論も、行きつ戻りつを繰り返す。キャベツ農家の樽川久志さんが、死をもって訴えようとしたことは、届いているだろうか。

 難しい課題を推し進めるのは言うまでもなく政治の役割だ。だがそのもたつきぶりには、目を覆うばかり。国の芯が失われてゆく感覚すらする。

 いたたまれず天を仰ぐ。凍(い)てつく夜空から突き刺すように、万の星がまたたいている。(終了)