7月29日、仙台市で行われた議員総会に参加しました。仙台市内での大震災の被害状況を伺った後、泉区の親戚宅を訪問。昨年亡くなった叔父の霊前に線香を上げさせていただいた。3月11日の大震災も大変な被害を受けたそうですが、その後の余震が仙台ではもっとも被害がひどかったようです。その往路のバスで見たのが、壁が全部、剥がされ中が崩れ閉店になっていたショピングセンターでした(写真左手)。中心市街地を離れた、まちで目についたのは、ブルーシートで囲われた家が多いことでした(右手)。
7月30日は、塩釜市を見て回りました。塩釜も物凄い津波の被害を受けたそうですが、浦戸諸島にまず大きな津波が来たために、浦戸諸島は、壊滅的な被害を受け、塩釜の被害はその分少し抑えられたとのことでした。しかし、牡蠣や海苔などの被害は壊滅的な被害を受けたそうです。美しい島だったようですが…。石巻市などと比べると被害は少ない方ですが、 7月15日 現在の被害は、死者45名、市内で発見された方は20名 行方不明 2名 だそうです。
上記の写真は塩釜マリンゲート近くの公園に今も乗りあげられ、そのままになっている漁船。下記左手は、塩釜駅前の崩れたままの商店。右手はマリンゲートの入口の木柱にあった3月11日の津波の跡。
今回の仙台訪問では、もう一度、震災のこと、東北の復興のことを深く考えさせられました。それは、泉区でバスを待った時、「あの時も、ここでバスを待ったいたのよ」、「そうしたら地震にあって、この世の終わりかと思った」と住民の年配の女性に声をかけられたことでした。「ほら、2時46分でしょう」ともう一度、停留所の時刻表を見ると、まさしく同じ時間でした。こうしたことがあるのか?と…。そして、改めて震災の時、自分は何を考えていたのか?その後、どうしていたのか?バスに揺られながら、思い返していました。