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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

誕生日

2019-12-19 23:17:23 | 雑記
kobbyは今日、?歳の誕生日です。今年の記憶では、やはりラグビーW杯の生観戦が最大のものです。9月の豪州対ウェールズ、11月の決勝戦南アフリカ対イングランドの観戦が実現しました。今だから言いますが、この観戦が実現したのは、サンウルブズのファンクラブに入会したことで「ラグビーファミリー枠」で応募できたからです。

決勝戦のチケットを持っていたことで、準々決勝以降は全試合映像でチェックしました。決勝戦はどこが来るんだろう、できれば日本代表戦になって欲しいと夢のまた夢も持っていましたが、日本戦にこそなりませんでしたがラグビーW杯は心ゆくまで楽しめました。2年近く前からチケットを確保していたので見られることは確定していましたが、本当に実現すると夢のようです。

今年はカメラを新調した年でもあります。1月にコンパクトデジカメを手を滑らせて落としてしまい、望遠機能を使うと焦点が合わなくなってしまったので、2月に思い切って4万2千円ほど使って倍率60倍のカメラを買いました。このカメラは、旅先やスポーツ観戦の現場で、非常に強力な武器になりました。遠くにあるものが、手元にあるかのように撮ることができました。

そのカメラの効果で、スポーツの写真はいろんな場所で狙えました。中島翔哉、南野拓実、堂安律(日本代表コロンビア戦)に始まり、ハメス・ロドリゲス、ファルカオ(日本代表コロンビア戦)、スターリング、デブルイネ(7月の横浜FM対マンチェスターシティ)、フェルナンド・トーレス(浦和対鳥栖)などの写真が撮れました。サッカーの写真は練習中に狙うので、試合の瞬間は狙いませんが、ちょっとしたカメラマン気分です。

毎年恒例にしている春の花めぐりは、水戸の偕楽園まで梅を見に行きました。平坦なイメージを持っていた偕楽園が、意外にもアップダウンがあって結構大変でしたが、前述のカメラの「デビュー戦」になりました。一昨年の南房総、去年の河津に続き、関東近辺の花の名所の多くに行けました。来年の春はどこに行こうか、今から楽しみにしています。

マラソンが不振だったことだけは残念な年でしたが、アクティブにいろいろやって楽しめた年だったと振り返ります。次の年齢も、そういうアクティブな気持ちを失わず、いろいろやりたいと思ったことを思い切ってやっていける年にしたいものです。

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那須大亮、現役引退

2019-12-19 22:53:11 | 浦和レッズ
昨シーズンよりJ1の神戸でプレーしていた、DF那須大亮選手の現役引退が発表になっていました。那須といえば2004年アテネ五輪のU-23日本代表でしたが、この世代にも引退の波は押し寄せており、先日の闘莉王の引退に象徴されます。那須も38歳と、よくここまでプレーできたという年齢で、浦和とも縁があったので寂しい気持ちです。今回は那須の記憶を書きます。

那須は高校時代、鹿児島実業でCBでした。チームメイトには松井大輔(横浜FC)、田原(元京都)がいて、高校サッカー選手権では決勝のピッチに立っていました。スターダムにのし上がったのは横浜FM時代で、当時の岡田監督のもと、ボランチとCBをこなせるユーティリティぶりで多くの試合に出場するようになります。

浦和加入は2013年です。当時、浦和はACL出場にあたって、選手層を厚くする補強を行っていました。那須の、ボランチとCBがこなせる便利さで貴重な控えに使えたらの期待でしたが、3バックの中央のレギュラーだった永田充のコンディションが上がらなかったこともあって、3バックの中央のポジションをものにすることになります。

那須は、DFでありながらノーゴールというシーズンがほとんどないという得点力も武器でした。この2013年は那須にとって生涯最高となった年で、DFながら流れの中でも上がって行くプレーを見せてキャリアハイの9得点を挙げます。当時のミシャのシステムでは、4-1-5という前がかりのシステムで、意表を突いてDFの那須が上がって行くと相手のマークが混乱するという効果もありました。

その後は2014年、2015年とDFの中央のポジションを守りますが、2016年に遠藤航を補強されたことでポジションを失い、控えに回ったことで神戸への移籍を選びました。カバーリングが武器のDFだった印象で、ストッパーの槙野と森脇の裏のスペースを、頭の良さでカバーできた貴重なDFでした。

今季は神戸でも出番がほとんどなく、体力より知力で勝負する那須のような選手でも、38歳という年齢もあって引退を決めたのでしょう。2013年の活躍は今でも懐かしく思い出せます。旧国立競技場の甲府戦で決めた、決勝ゴールとなったヘディングシュートが、今でも思い出です。お疲れ様でした。
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