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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

短いパスからのカウンター(ブラジル対チリ)

2013-08-26 16:57:14 | ワールドサッカー
一日休んだときは2試合見ようと思い、もう1試合の国際親善試合、ブラジル対チリ戦も見ました。6月のスカパー無料放送で手に入った映像ですが、HDDに入りっぱなしになっていた映像を、今頃ながら見ました。

もっとも、この試合はリーグの合間を縫って行われる親善試合で、ブラジルもチリも南米でプレーする選手だけで編成したメンバーでした。ブラジルにはパウリーニョ、ネイマール、ロナウジーニョといった有名選手もいましたが、チリは知っている選手は一人もいませんでした。

知らないチームを楽しむ方法は2006年に国立競技場で生観戦したクラブW杯のときにある程度身につけました。私は知らないチームを見るときは、まずトップ下から見ます。ボールがこの選手を経由することが多いか、逆に飛ばしてトップ下がゴール前に詰めるか、どちらのスタイルをとるかわかればある程度イメージが出てきます。

チリの場合、布陣は4-2-3-1ですが、トップ下が受けてスルーパスというスタイルではありません。その代わり、自陣で短いパスを回してから一気にカウンターでウイングを走らせる切り替えが速く、世界最強チームの一つであるブラジルが置いていかれるほどでした。

解説の前園氏は、チリは選手間の「距離」がいいと表現していましたが、確かにパスが通る位置にポジションを取ったり、ミスになっても素早くカバーしたりといったチーム間の連携は非常に取れている印象を受けました。逆にブラジルの方は、1トップのレアンドロ・ダミアンがほとんど存在感がなく、ロナウジーニョこそテクニックを発揮していましたが、チームとしての完成度にはかなり差がある印象です。

この時点では、ブラジルの監督がメネゼスからフェリペに代わって間もない頃で、コンフェデで活躍したフレッジもまだ抜擢していませんでした。ネイマールを中盤に下げ、1トップにはポストプレーヤーを置く、フェリペスタイルは改革に着手したばかりで、結果を出すには時間が必要だった頃です。

もっとも、いくら完成していないとしても、ブラジルはブラジルで、その相手に果敢に挑んで2-2の引き分けに持ち込んだチリの頑張りは認めたいです。南米では考えなくても勝てるチームはブラジルとアルゼンチンだけで、他の国は何とかこの2強から勝ち点を取って、残り2枠の予選通過枠に入ろうといろんな工夫を見せます。チリのカウンターもそれだなと、いいものを見た喜びがありました。
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強豪破ったテクニック(カーディフ対マンC)

2013-08-26 16:48:04 | ワールドサッカー
今日は夏バテ気味で一日休暇を取り、マニアックにもワールドサッカーのチェックをしていました。知っている選手より知らない選手の方が多い試合もありますが、これをやっておかないとW杯のときに知っている選手がいなくなってしまうので、時間のあるときはこまめに見て、プレースタイルなどを確認しておきます。

今日見たのは、イングランド・プレミアリーグのカーディフ対マンチェスターC(以下シティ)戦です。シティはNHK-BSでよく中継するチームで、ある程度情報はありますが、カーディフは51年ぶりの1部昇格なので、もちろん初めて見ます。ただ、オイルマネーで強化されているシティに対し、昇格チームのカーディフが勝つことはないだろうと考え、最初はシティ中心に見ていました。

シティの注目選手はボランチのヤヤ・トゥーレです。コートジボアール代表のトゥーレ兄弟の弟で、アンカー気味に下がってボールを受けることの多い選手ですが、そこから繰り出されるパスの質がすばらしいです。キックの飛距離が長いのが売り物ですが、昔の中田英寿のように少し厳しいパスを出し、追いつけば決定機だろと味方を叱咤するプレーを得意にしています。

また、シティは2トップのジェコ、アグエロのコンビも熟成されていて、先制点はアグエロのヒールキックに反応したジェコの、豪快に突き刺さるミドルシュートでした。これを守りきったのかなと想像していました。

しかし、カーディフで唯一知っている選手、元C大阪のキム・ボギョン(韓国代表)がこの試合の波乱を演出しました。FWに入っていたキムは、失うものはないと積極的にシティのDFにドリブル突破を仕掛けます。そのドリブル突破が成功した1回が同点ゴールになります。ゴールライン近くまで切れ込んだキムのマイナスのクロスに、キャンベルが飛び込みこぼれ球を17番が押し込んで同点にします。

イングランドでは、たとえ2部が定位置のチームでも、サッカー専用で屋根がある、雰囲気のあるスタジアムを持っていることが多いです。カーディフのミレニアム・スタジアムもそんな雰囲気を持っていました。このスタジアムが同点ゴールで一気に盛り上がり、意欲の出たキムは再度ヤヤ・トゥーレに仕掛け、股抜きまで決めてCKを取り、そのCKをキャンベルが押し込んでカーディフが勝ち越し、試合は3-2でカーディフの勝利に終わります。

こういうことがあるから、試合を見るのは楽しいもので、カーディフの勝利はまったく予想していませんでしたが、キム・ボギョンが世界の大舞台でこれほどのプレーができているのは大きな発見でした。プレミアリーグの韓国人といえば、ボルトンの李青龍が有名でしたが、同じポジションのキム・ボギョンがそれを上回る活躍を見せれば面白くなってきます。
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横綱飲んだ一年坊主(1983年PL学園)

2013-08-26 08:34:35 | 他スポーツ
高校野球はちょっと前に終わりましたが、少年時代の私の楽しみは高校野球でした。当時、トーナメント表に勝敗を書くのを楽しみにしていて、夏の甲子園では2回戦から毎回抽選だったので、トーナメント表を切ったり貼ったりしてチェックしていました。

その中では、当時私は小学生で、プレー面の記憶は薄いですが、清原、桑田のPL学園は印象的なチームでした。彼ら二人は1年夏から5回連続で甲子園に出場した実績を持っていて、1年の夏に優勝した快進撃は今でも覚えています。

当時、埼玉代表の所沢商業と、PL学園は初戦で対戦しています。埼玉県に住んでいる私は所沢商業を応援してテレビを見ていましたが、エースと4番が一年生というPL学園というのはどんなチームなのだろうという興味はありました。

PL学園という学校自体は、名将中村監督が率いて甲子園の常連だったチームで知っていましたが、4番清原とエース桑田は最初から抜群の存在感でした。所沢商業はまったく歯が立たず敗れましたが、所沢商業のエース前田は、「清原から三振を取り、桑田から本塁打を打った男」という肩書きで、社会人野球を経て西武に入団することになります。

当時のPL学園の印象を決定付けたのは、準決勝の池田高校戦です。当時、水野投手(巨人)を擁した池田高校は、名将蔦監督のもと、高校野球最強チームの誉れ高きチームで、この大会でも優勝候補筆頭でした。しかし、PL打線は水野を捕らえ、打ち勝ってPL学園が勝利して、当時のスポーツ紙に「横綱飲んだ一年坊主」の見出しが躍ることになりました。

PL学園は、清原、桑田の出場した5回中、3回優勝という圧倒的な力を見せ、池田高校から主役の座を奪ってみせました。当時は甲子園球場にラッキーゾーン(外野フェンスの前に金網を引いて、少し手前でホームランにするルール)があった時代で、今の時代よりホームランは出やすかったですが、強打者清原のイメージはこのときに作られました。

その後は同じPL学園が、立浪、片岡、野村、橋本を擁し、社会人野球並みの継投と呼ばれた必勝リレーで勝って一時代を作りましたが、この清原、桑田の頃は野球が少しわかるようになった頃なので、一番印象的です。
コメント (2)
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