私は、自分で言うのも変ですが、アクティブなタイプだと思っています。90年代はそんなアクティブさが前面に出た時期で、趣味といえば走ることでしたし、積極的にいろんな経験をしようとした結果、フルマラソン完走や富士登山競走の完走など結果も出ていました。
そんな時期にサッカーと出会い、1997年のクロアチア戦で代表戦の初観戦をすると、フランスW杯予選は国立競技場で開催された4試合をすべて生で見ています。文章を書きたいという意欲が出てきたのもこのあたりで、当時は司馬遼太郎の歴史小説を次から次へと片っ端から読んでいました。サッカーノートが登場し、プレーをメモするようになったのも90年代です。イタリアまでバティやヒデを見に行った行動力もありました。
しかし、2000年代が自分にとって苦しい時間になってしまいました。アクティブにチケットを押さえようとした90年代の勢いが残っていて、2002年W杯のチケットこそ確保して夢のW杯生観戦は実現できましたが、当時はある病気が悪化しました。正直スタンドに座ってこそいましたが、戦術的なマニアック分析はできず、ただ見ていただけでした。
会社も半年休職し、その後の日々は「こんな自分は本当の自分ではない」と苛立ちを覚える日々でした。体重も増え、自己ワーストの83kgになったメタボ一直線の体に、もうあの頃の自分は取り戻せないと悲しい現実を受け入れるしかありませんでした。
それでも、ブログも始め、サッカーのマニア度に関しては確実に進歩していました。レッズ戦全試合レポートを始めるようになると、ブログの読者は増えてきました。さらに別の病気も発病し、病気との闘いは続いていましたが、サッカー観戦数はピーク時には年間55試合も見ていました。
そんな自分が、2013年の今、ようやく90年代のアクティブさが戻ってきた感覚でいます。会社の昼休みの筋トレの成果が出てきて、90年代に当たり前にこなしていた腕立て伏せやスクワットなどの「補強運動」が昔の感覚でできるようになってきました。積極的にチケットを押さえるアクティブさも出てきていて、大相撲の生観戦に意欲を燃やしています。
今日の筋トレのBGMに、インターネットからダウンロードしてきた80年代、90年代の音楽を使いましたが、ちょうどこの音楽を聴いていた頃、自分は一番元気だったと当時を思い出すきっかけになりました。もう、本当の自分ではないと、自分に苛立つ必要はないと思えた、いい夏休みだったと思います。
そんな時期にサッカーと出会い、1997年のクロアチア戦で代表戦の初観戦をすると、フランスW杯予選は国立競技場で開催された4試合をすべて生で見ています。文章を書きたいという意欲が出てきたのもこのあたりで、当時は司馬遼太郎の歴史小説を次から次へと片っ端から読んでいました。サッカーノートが登場し、プレーをメモするようになったのも90年代です。イタリアまでバティやヒデを見に行った行動力もありました。
しかし、2000年代が自分にとって苦しい時間になってしまいました。アクティブにチケットを押さえようとした90年代の勢いが残っていて、2002年W杯のチケットこそ確保して夢のW杯生観戦は実現できましたが、当時はある病気が悪化しました。正直スタンドに座ってこそいましたが、戦術的なマニアック分析はできず、ただ見ていただけでした。
会社も半年休職し、その後の日々は「こんな自分は本当の自分ではない」と苛立ちを覚える日々でした。体重も増え、自己ワーストの83kgになったメタボ一直線の体に、もうあの頃の自分は取り戻せないと悲しい現実を受け入れるしかありませんでした。
それでも、ブログも始め、サッカーのマニア度に関しては確実に進歩していました。レッズ戦全試合レポートを始めるようになると、ブログの読者は増えてきました。さらに別の病気も発病し、病気との闘いは続いていましたが、サッカー観戦数はピーク時には年間55試合も見ていました。
そんな自分が、2013年の今、ようやく90年代のアクティブさが戻ってきた感覚でいます。会社の昼休みの筋トレの成果が出てきて、90年代に当たり前にこなしていた腕立て伏せやスクワットなどの「補強運動」が昔の感覚でできるようになってきました。積極的にチケットを押さえるアクティブさも出てきていて、大相撲の生観戦に意欲を燃やしています。
今日の筋トレのBGMに、インターネットからダウンロードしてきた80年代、90年代の音楽を使いましたが、ちょうどこの音楽を聴いていた頃、自分は一番元気だったと当時を思い出すきっかけになりました。もう、本当の自分ではないと、自分に苛立つ必要はないと思えた、いい夏休みだったと思います。