昨日のACLで現名古屋の田中マルクス闘莉王選手のプレーを久しぶりに見ました。まだ代表の力はあると思いますが、ザッケローニの構想には入ってなさそうで残念です。浦和時代もありましたが、負けていて追いかける展開になると中盤に上がり、味方クロスに飛び込むプレーで決勝点を得ることもあり、浦和時代は頼れる選手でした。
ただ、点が取れるというサッカー選手としてはこれ以上はない長所を持ちながら、代表で一緒にCBを組んでいた中澤佑二とはキャップ数に2倍近い差があります。一見岡田ジャパンの不動のCBの印象がありますが、結構欠場も多い選手でした。
その欠場の理由は肉離れをよく起こす両脚でした。気持ちを前面に出すプレースタイルゆえに「闘将」と呼ばれることもありましたが、かつて闘将と呼ばれた柱谷哲二氏には「あんな休んでばかりの奴は闘将とは言えない」と厳しく言われていました。
それでも、岡田監督の考えがどんなにいいサッカーをしてもCBが体の強さで負けては意味がないというものだったらしく、負傷でもない限り中澤佑二と闘莉王のCBでしたし、控えにも川崎Fの寺田のようなパワー系を置きました。
負傷は多かった闘莉王ですが、多少痛いくらいなら無理して出てくれる気持ちの強さは評価しています。たまに浦和では出られる状態でないときに出て足を引っ張った記憶もありますが、代表では早くコンディションを上げようと、周りの選手よりきついメニューを課す「逆別メニュー調整」をしたこともあります。
闘莉王は前に行きたがる選手なので、状況判断に応じては「行くな」という指示も必要でした。2011年の最終予選の豪州戦では、終盤まで0-0が続いたスコアを見て闘莉王は決勝点を取りに行こうとしましたが中澤佑二とGK都築が反対して止めさせました。
結果的にはこの試合は引き分けでよく、闘莉王も暴走は時によっては抑えてやる必要もあると知った試合でした。後にドログバを負傷させたDFとして有名になりますが、強さと得点力は今でもカズが代表に呼ぶべきとコメントするほどです。
ただ、点が取れるというサッカー選手としてはこれ以上はない長所を持ちながら、代表で一緒にCBを組んでいた中澤佑二とはキャップ数に2倍近い差があります。一見岡田ジャパンの不動のCBの印象がありますが、結構欠場も多い選手でした。
その欠場の理由は肉離れをよく起こす両脚でした。気持ちを前面に出すプレースタイルゆえに「闘将」と呼ばれることもありましたが、かつて闘将と呼ばれた柱谷哲二氏には「あんな休んでばかりの奴は闘将とは言えない」と厳しく言われていました。
それでも、岡田監督の考えがどんなにいいサッカーをしてもCBが体の強さで負けては意味がないというものだったらしく、負傷でもない限り中澤佑二と闘莉王のCBでしたし、控えにも川崎Fの寺田のようなパワー系を置きました。
負傷は多かった闘莉王ですが、多少痛いくらいなら無理して出てくれる気持ちの強さは評価しています。たまに浦和では出られる状態でないときに出て足を引っ張った記憶もありますが、代表では早くコンディションを上げようと、周りの選手よりきついメニューを課す「逆別メニュー調整」をしたこともあります。
闘莉王は前に行きたがる選手なので、状況判断に応じては「行くな」という指示も必要でした。2011年の最終予選の豪州戦では、終盤まで0-0が続いたスコアを見て闘莉王は決勝点を取りに行こうとしましたが中澤佑二とGK都築が反対して止めさせました。
結果的にはこの試合は引き分けでよく、闘莉王も暴走は時によっては抑えてやる必要もあると知った試合でした。後にドログバを負傷させたDFとして有名になりますが、強さと得点力は今でもカズが代表に呼ぶべきとコメントするほどです。