前回の南アフリカW杯最終予選では違う組に入り、しばらく動向のわからなかったイランですが、2004年のアテネ五輪最終予選を控えた時期にU-23代表を連れて来日したことははっきり覚えています。ここで選手を覚えておけば、今後イランと対戦したときに情報になると、日曜の夜で観客の少なかった埼玉スタジアムのゴール裏で、イランを追うという変なサポーターが一人いました。
面白い選手はいろいろいました。運動量の多いFWボルハニ、今で言えば浦和のマゾーラのようなドリブラーのバダヴィ、FKキッカーのモバリなどが印象に残っています。もっともバダヴィは森崎浩司の守備でドリブルを横に行かせられ、途中から機能しなくなったので、これは駄目かなとも思っていました。
これが役に立つ日は来ました。2005年の最終予選最終戦の消化試合ながら、横浜国際競技場でイランのA代表と対戦しました。欧州でプレーしていたカリミなどは不在でしたが、全盛期は過ぎたとはいえ、アリ・ダエイがまだいるというのは楽しみでした。ボルハニはダエイのサポート役を命じられ、前半で交代していましたが、ベテランになったダエイのプレーが面白くてしばらく見入っていました。
確かに、ヘディングに圧倒的な強さを誇った全盛期の切れはなくなっていました。しかし、ダエイは足元のプレーが非常にうまく、相手DFを引き連れてしっかりポストに入り、前線のゲームメーカーとして2列目の上がりを待つことができました。この能力があるからヘディングの強さは落ちても1トップで使うんだと、変な感心の仕方をしていました。
しかし、イランは弱点もはっきりしていました。理由はDFの視野の狭さです。当時、日本代表のFWは大黒でしたが、大黒に何度も動き出されると、ドイツW杯にも出たベテランのゴルモハマディが簡単に背後を取られました。ここでクロスが入れば1点だなと思う場面は多く、高さとパワーはあっても細かい動きに弱いというのが当時のイラン代表でした。
あれから5年が経ち、アジア杯で久しぶりにイラン代表を見ましたが、スピードのあるチームになっていました。ただ、ダエイのような強力な1トップは育っておらず、点は取るものの1タッチゴールばかりという選手がトップに入っています。テレビなので守備はわかりませんでしたが、今は17歳でクラブW杯に出たボランチのハジサフィのような選手も育っており、強くなっているのではと思っています。
面白い選手はいろいろいました。運動量の多いFWボルハニ、今で言えば浦和のマゾーラのようなドリブラーのバダヴィ、FKキッカーのモバリなどが印象に残っています。もっともバダヴィは森崎浩司の守備でドリブルを横に行かせられ、途中から機能しなくなったので、これは駄目かなとも思っていました。
これが役に立つ日は来ました。2005年の最終予選最終戦の消化試合ながら、横浜国際競技場でイランのA代表と対戦しました。欧州でプレーしていたカリミなどは不在でしたが、全盛期は過ぎたとはいえ、アリ・ダエイがまだいるというのは楽しみでした。ボルハニはダエイのサポート役を命じられ、前半で交代していましたが、ベテランになったダエイのプレーが面白くてしばらく見入っていました。
確かに、ヘディングに圧倒的な強さを誇った全盛期の切れはなくなっていました。しかし、ダエイは足元のプレーが非常にうまく、相手DFを引き連れてしっかりポストに入り、前線のゲームメーカーとして2列目の上がりを待つことができました。この能力があるからヘディングの強さは落ちても1トップで使うんだと、変な感心の仕方をしていました。
しかし、イランは弱点もはっきりしていました。理由はDFの視野の狭さです。当時、日本代表のFWは大黒でしたが、大黒に何度も動き出されると、ドイツW杯にも出たベテランのゴルモハマディが簡単に背後を取られました。ここでクロスが入れば1点だなと思う場面は多く、高さとパワーはあっても細かい動きに弱いというのが当時のイラン代表でした。
あれから5年が経ち、アジア杯で久しぶりにイラン代表を見ましたが、スピードのあるチームになっていました。ただ、ダエイのような強力な1トップは育っておらず、点は取るものの1タッチゴールばかりという選手がトップに入っています。テレビなので守備はわかりませんでしたが、今は17歳でクラブW杯に出たボランチのハジサフィのような選手も育っており、強くなっているのではと思っています。