こばとの独り言

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名牝ダイワスカーレット引退

2009年02月16日 12時26分00秒 | その他(未分類)

昨年末、37年ぶりに牝馬で有馬記念を制したダイワスカーレットが浅屈腱炎で引退することとなった。
毎年3月末にドバイで行われる春の競馬の祭典”ドバイワールドカップ”や、6月のイギリスのプリンスオブウェールズS(通称”ロイヤルアスコット”と呼ばれる、イギリスのエリザベス女王が観戦する数日に渡るイギリスの競馬の祭典のメインレースとされている)にも出走を表明した矢先のことだった。

ダイワスカーレットの主な勝ち鞍は、2007年の桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、2008年の有馬記念などで12戦8勝(2着4回)、連対率(2着以内に入った率の事)100%という安定した実績を持っていた。
父は2001年の皐月賞を無敗で制覇し2008年のリーディングサイヤーとなったアグネスタキオン(その父サンデーサイレンス)、母は1991年のG3・クイーンSなど重賞4勝のスカーレットブーケ(その父ノーザンテースト)、半兄に2004年の皐月賞などG1・5勝のダイワメジャー(現在は種牡馬)、近親にジャパンカップ・ダートなどダートG1・6勝のヴァーミリアン(現役)がいる。
この馬の兄弟や近親には重賞勝ち馬が非常に多く、日本ではトップクラスの血統であることから最近では”華麗なる一族”と呼ばれるようになった。

ダイワスカーレットという馬は”強さ”で言うなら歴代牝馬の中でも1、2を争う実力を持っていた。しかし、彼女が真にその強さを認められたのは皮肉にも”ライバル”のウォッカに負けた昨年の天皇賞・秋だった。それまでは牝馬G1でしか勝ち星がなかったせいか(牝馬戦では滅法強かったヒシアマゾンやメジロドーベルのように見られていた)、牡牝混合G1であるダービーや安田記念を制覇したウォッカのほうが注目されていた。ただ、私にも説明は出来ないが、ウォッカにはディープインパクトやオグリキャップ等の持っていたスター性っていうものを持っている気がする。ウォッカは勝ち負けに関係なく常に競馬界に話題を振りまき、そして勝ち負けに関係なく彼女を応援したくなる。そんな気にさせてくれる馬がウォッカなのだ。ダイワスカーレットはこの”スター性”についてだけはウォッカに大きく劣っていた気がする。これはどんなに強くても主役になれなかったビワハヤヒデ(一般的に日本最強馬とされる初代無敗の三冠馬シンボリルドルフより強いのではと言われながらも、クラシック時代は柴田騎手のダービー制覇に話題を持っていかれ、本格化した直後にトウカイテイオーの奇跡の復活に破れ、勝ち続けた5歳時は半弟ナリタブライアンのクラシック3冠に話題を持っていかれた非運の名馬)と同じようなことだ。

しかし、休み明けで挑んだ天皇賞・秋では、大阪杯以来約半年ぶりのレースでありながら、万全の体勢で臨んだウォッカやディープスカイと互角の勝負を演じ、2着に逃げ粘った。しかも、レコードタイム決着で勝ち馬のウォッカとはタイム差なしである。ダイワスカーレットをきっちり捕らえたウォッカも強いが、休み明けながらレコードとなるほどのハイペースで逃げ続けたダイワスカーレットも同等の評価を受けた。そして、その次は有馬記念制覇である。今まで人気では劣っていたライバルのウォッカと対等に見られるどころか、実力はウォッカより上なのでは?と思わせるほどになっていた。そして、春の世界一決定戦でもある(ダートだが)ドバイワールドカップに出走を表明し、日本馬初(しかも父内国産で)となるドバイワールドカップ制覇に期待がかけられていた。
それだけに今回の引退は競馬関係者のみならず、日本中の競馬ファンにとってショッキングなニュースだった。

幸い、命にかかわる怪我ではなく(ただ、屈腱炎は競走馬にとっては不治の病とされている)、将来を見据えて繁殖牝馬としての第二の人生を歩むことになったダイワスカーレット。
今後、彼女以上の活躍をする子供達が出てくることを期待しようと思う。

ダイワスカーレットと数々の名勝負をしてきた永遠のライバル・ウォッカよ、彼女の分までドバイデューティフリーがんばれよーーー!!
・・・それにしても、ウォッカは丈夫だな?ほぼ休みなしでレースに出てるし・・・。まぁこれからも無事でレースに出走して無事に引退して無事に繁殖牝馬になってくれることを祈ろう。ホクトベガのような悲劇は繰り返さないで欲しい。

永遠のライバルであるダイワスカーレットとウォッカの子供達が再びライバルになったら・・・血のロマンを追い求める競馬ファンにはたまらない夢となろう。これぞ、ブラッドスポーツの醍醐味!!

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