当神社では去る5月27・28の両日、例大祭を斎行いたしました。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、昨年、一昨年は、当方のみで祭典を行いましたが、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が、全国どこにも出されていないこともあり、3年ぶりに氏子総代らをお招きしての祭となりました。
当日、久しぶりにお集まりいただいた皆様も晴れ晴れとしており、地域コミュニティの核としての神社の重要性を改めて実感いたしました。
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国内では新たに感染が確認される人の数も減少傾向にあり、何日も連続で前の週の同じ曜日の感染者数を下回っているとの報道もされています。先だっては、都内の神社でも厳しい管理下ではありましたが、本社神輿の渡御が再開され、これまでの日常が戻りつつあることを実感する今日この頃です。
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ロシアのウクライナ侵攻は日々深刻化しています。
「プーチン大統領の戦争」と表現する専門家もいる中で、ロシア正教会のキリル総主教が繰り返した、この戦を支持するかのような発言には、同じ宗教者として考えさせられました。
ロシア正教は事実上、国家の機関ともいえ、同総主教も大統領の「精神的支柱」とされているようですが、宗教が戦争の後押しをすることには抵抗感を覚えます。同じキリスト教のローマ・カトリック教会フランシスコ教皇も、キリル総主教に対しプーチン大統領の「侍者になるな」と発言したそうです。
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宗教は、人々の生活の様々な局面で背中を押してくれるものです。同時に、現状を顧みるという役割も担っています。車の運転に例えるなら、前者がアクセルで後者がブレーキといえるでしょう。
コロナ禍からの脱却で、我々は以前の生活をもとに戻そうと、先を見がちです。皆がアクセルと踏み、前進を試みています。しかしながら、コロナがもたらした様々な変化を今一度見つめ直し、そのうえで、古来受け継いできた物事の本質を見極めることを忘れてはなりません。ロシアのウクライナ侵攻同様、今、我々が必要としているのは、アクセルよりもむしろブレーキなのではないかと考えます。
本年、3年ぶりに多くの方をお迎えしての祭りを終え、自省も含め、神明奉仕の誓いを再確認している次第です。