内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

本を読んでいる間、人は人を殺せない ― この夏の読書リストのために

2021-07-21 21:49:55 | 読游摘録

 今日の記事のタイトルは、なにやら三流(いや五流ですね)ミステリー小説っぽいタイトルですが、奇を衒ったわけではなく、とても単純な気持ちで、本に読み耽っている間は他のことはできないですよね、と言いたかったに過ぎません。
 「小人閑居して不善を為す」と古来言われておりますが、私など、自慢じゃありませんが、小人の中の小人であり、閑居しまくっておりますから、不善を為す危険、マックスなわけでございます。ですから、まかり間違って不善を為さないように、ちょっと対策を講じたほうがいいわけです。で、とりあえず、本でも読みましょうかってことです。
 なんかひどくつまらない前置きをいたしましたが、今日もまたぞろ、「よしっ、これ全部読んでやる!」って意気込んで、ポチッと買ってしまった電子書籍八冊のタイトルを以下に列挙します。なんですべて講談社学術文庫なの?というご質問に対しては、だって、今日が講談社の本の30%引きの最終日なんだもの、とお答えしておきます。
 でも、それらの本の名誉のために言っておきますが、読んで絶対損しない名著ばかりです。カッコ内の最初の出版年は、講談社学術文庫としての紙の本の出版年です。電子書籍版がほぼ同時出版される場合もありますが、十数年後の場合もあります。でも、それは示してありません。いずれの本も学術文庫版は再刊ですので、底本である原著の出版年を学術文庫としての出版年の後に付け加えてあります。本文はほぼ底本のままの再刊の場合もあれば、若干の改変が施されている場合もあります。本の配列は、底本の出版年順です。

鳥越憲三郎『出雲神話の誕生』(2006年 1966年)
五来重『熊野詣 三山信仰と文化』(2004年、1967年)
五来重『日本の庶民仏教』(2020年、1985年)
増田四郎『ヨーロッパ中世の社会史』(2021年 1985年)
五来重『石の宗教』(2007年 1988年)
渡辺公三『レヴィ=ストロース 構造』(2020年 1996年)
渡邊昌美『異端審問』(2021年 1996年)
片桐一男『阿蘭陀通詞』(2021年 2016年)

夏休みの読書計画リストにまだ空きがある方、ご興味に応じて、上掲の八冊の中から一冊リストにお加えになってはいかがですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


遠隔集中講義の事前ミニ演習始まる

2021-07-20 16:28:11 | 講義の余白から

 昨年はコロナ禍を理由に休講にした夏の集中講義をこの夏は遠隔で行うことにした経緯については6月14日の記事で話題にした。昨日がその第一回目であった。本来の日程は、7月29日から8月3日(日曜日を除く)の5日間に一日3コマ(1時間半×3=4時間半)計15コマ行うことになっていたのだが、毎日それだけ長時間PCの画面を見つづけながら演習を行うのは、私にとっても学生たちにとってもちょっとしんどいので、教務課の許可と学生たち(といっても履修者は二人だけ)の同意を得た上で、何コマか前倒しして本来の期間のコマ数を減らすことにした。
 昨日の第一回目については、6月中に学生たちに都合を聞き、早めに時間を設定しておいた。残りの分については、昨日相談しながら決めた。私のつもりとしては、5コマ分前倒ししたかったのだが、二人のうちの一人の学生の都合がどうしてもつかず、4コマとなった。そのうちの1コマを昨日消化したわけである。残り3コマは、今週の土曜日と来週の月曜日と水曜日になった。その翌日の木曜日から本来の日程に入る。最終日8月3日だけは3コマとなるが、例年最終日は少し早めに切り上げ、場所を移して打ち上げにしていたので、今回も、遠隔ではあるが、最後の1コマはリモート打ち上げとすることを学生たちに提案した。もちろん彼らもOKである。
 昨日は、第一回目ということで、型どおり、それぞれの自己紹介から入った。続いて、これもまた型どおり、演習の概要、目的、形式等について私から説明した。そして、今回の演習は西谷啓治『宗教とは何か』の読解を主としつつ空の思想のアクチュアリティをメイン・テーマとするので、そのテーマへの導入として、学生たちに四つの質問をした。質問する前に、質問を聞いて最初に思ったことをそのまま言ってほしいと頼んでおいた。
 その質問とは、それぞれ、「宗教」、「空」、「無」と聞いて、何を思い浮かべるか、そして、京都学派について何か知っているか。無防備なところに予告なしで不意打ちのようにくらった質問であるから、当然といえば当然だが、二人とも困惑しながらの回答であった。それでもその困惑そのものを言葉にしようと試みてくれた。実はそれがこちらの狙いであった。その困惑がこの演習の出発点になるからだ。
 京都学派については二人ともほぼ何も知らなかったが、これは少しも驚くにあたらず、だいたいいつもこんなものである。いわゆる « C’est pas grave » である。しかし、宗教、空、無については、ガクモン的知識はなにもなくとも、たとえ漠然とはしていても、何らかのイメージはそれぞれもっているはずである。それを聞きたかったのである。空と無に関しては、本人たちのそれぞれの日常言語の中の語感以上の話は出て来なかったが、それでかまわない。
 少し意外だったのが、二人とも何らかの宗教を信じているわけではないと断った上で、神の存在を否定しなかったことだ。一人は、自分は不可知論者だから、知り得ないことについてその存在を否定する根拠は持ち得ない、といささか哲学的な回答であった。もう一人は、自分の身内に台湾の新興宗教の研究を現地でしている者がいて、その話を聴いているうちに、現代社会の中で機能している集団としての信仰集団に関心を持つようになったと話してくれた。
 初回としては十分な手応えを得ることができたところで時間となった。次回、今週土曜日は、立川武蔵『空の思想史』(講談社学術文庫 2003年)に主に依拠しながら、空の思想の起源から現代における空思想までをざっとおさらいする。中村元『龍樹』(講談社学術文庫 2002年)にも少し言及し、現代ヨーロッパにおける空思想への哲学的関心の例として、Françoise Dastur, Figures du néant et de la négation entre orient et occident, Les Belles Lettres, collection « encre marine », 2018Frédéric Nef, La force du vide. Essai de métaphysique, Éditions du Seuil, 2011 を紹介する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「“伝統"はそれぞれの時代において創られるものである」― 義江明子『女帝の古代王権史』より

2021-07-19 15:03:53 | 読游摘録

 昨日の記事で取り上げた『女帝の古代王権史』の「あとがき」で、著者義江明子は、歴史研究者としての中庸を守りつつ現在の女性/女系天皇容認を巡る議論に言及した上で、さらに一歩踏み込んだ発言をしているところを引いておく。

 本書はこうした議論に直接答えようとするものではない、ただ、“伝統"の重要性がいわれながらも、その“伝統"の内容と成り立ちをほとんどの国民が知らないのではないか。これもすでに歴史の常識ではあるが、“伝統"はそれぞれの時代において創られるものである。王権構造は社会の変化に応じて組み替えられ、“伝統"の中身も時代ごとに塗り替えられてきた。本書ではおもに六世紀~八世紀、男帝女帝が並び立っていた時代に焦点を当てて、その社会的背景と変容の過程を明らかにしたものである。
 主権者たる国民の象徴として位置づけられた現行憲法のもと、天皇/皇室のあり方も時代の要請に応じて変わり、新たな“伝統"が国民によって共有されていくのは当然のことである。だとすれば、ことは女帝容認の有無にとどまらないことが見えてこよう。男女の平等はもちろん、婚姻の自由、職業選択の自由といった憲法の基本理念を最大限活かす方向を、国民が皆で考えていくべきではないか。

 知性も品性も徳性もない「非国民」でしかない政治家たちによって愚弄されるだけの国民でありたくないとすれば、そのような亡国的な政治家たちによって自分たちの国を破壊されたくないと願うのならば、歴史に学びつつ、これらの問題を自分で考え、自分の言葉で表現できるような一個人でそれぞれがなければならないだろう。と同時に、次世代のためにそのような自立した個人を育てる教育が小学校から大学まで(少なくとも高校まで)地道に積み重ねられなければならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「古代の倭/日本は、もともと双系社会だった」― 義江明子『女帝の古代王権史』より

2021-07-18 20:19:12 | 読游摘録

 昨日の発表に対して、その主旨からは逸れるがと断った上で、「日本はもともと母系(女系)社会であったのに、それが父系(男系)社会に転じたのはなぜなのか」という質問があった。それに対して、「日本はもともと双系社会であったのが、持統天皇が導入した直系継承が契機となり、八世紀後半に女帝が終焉し、父系直系継承へとシフトしていった」と簡単に答え、三浦佑之『神話と歴史叙述』(講談社学術文庫 2020年)と武澤秀一『持統天皇と男系継承の起源』(ちくま新書 2021年)を参考文献として挙げるにとどめた。
 しかし、今日になって、義江明子『女帝の古代王権史』(ちくま新書 2021年)をむしろ挙げるべきだったと気づいた。著者は、歴史学者としてまさにこの問題に取り組み、『日本古代女帝論』(塙書房 2017年)を上梓しているからである。
 以下、『女帝の古代王権史』から上掲の問いに関わる箇所から摘録しておく。

六~八世紀の倭/日本には、女の王を普遍的に生み出す条件があり、八世紀後半以降はそれが失われていったとみなければならない。

女帝を普遍的に生み出した条件とは何か。それは双系的親族結合と長老原理である。

双系的親族結合を基本とする社会では、父方と母方のどちらに属するかは流動的で、父方母方双方の血統が子の社会的・政治的地位を決める上で重要な要素となる。人類学的な知見によると、こうした社会は東南アジアから環太平洋一帯に広がりをみせていて、日本列島もそこにつらなる。古代の倭/日本は、もともと双系社会だったのである。

長老女性が退位後も太上天皇として年少男性を支え育成するというシステムが持統によって築かれ、八世紀を通じて律令国家における君主権の強化を実現した。双系社会の長老原理を土台に、新たに導入された直系的継承へのソフトランディングがなされたのである。八世紀後半に女帝が終焉した後、数々の模索を経て、父系直系継承原理のもと即位した幼帝を母后と外戚摂政が支えるという新たなシステムは、九世紀半ば以降に築かれていく。

 最初の二つの引用の中で使われている「普遍的」という言葉に引っかかるが、それを除けば、これらの引用に示されている見方は学界の女帝研究の最新動向を反映していると見てよいことが「あとがき」を読むとわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


歴史の中における神話の創出、及びその構造と機能

2021-07-17 23:59:59 | 雑感

 今日のリモート発表は無事終了。参加者は私を含めて20名。海外からの参加は私のみで、他の参加者たちは皆日本在住。その多くは現役の大学教授か定年退官された元教授たち、みなそれぞれに世界の文学のいずれかの専門家で、中にはその分野において第一人者の方もいらっしゃった。発表後に頂いた質問はいずれも私が発表で言い足りなかったことを引き出してくれるありがたいものだった。私は今回が初めての参加であったが、自分の専門とは異なった分野の研究に対して広く関心を持つ先生方の集まりで、互いに開かれた議論の場としてよく機能している研究会だと思った。
 今回の発表の準備期間と今日の発表と質疑応答を経て、今後しばらく追いかけていきたい一つの大きなテーマが浮上してきた。それは、神話と歴史との関係である。より正確に言えば、歴史の中における神話の創出、及びその構造と機能、ということになる。問いの形にして言い直せば、なぜ、何を契機として、どのような過程を経て、一つの神話が歴史の中で創出され、それが国家あるいは社会の中で一定の仕方で機能するようになり、そしていつか機能しなくなり、改変が施され、あるいは、別の神話に取ってかわられ、あるいは、忘却されていくのか、となる。
 考察対象を日本の歴史と文学に限定し、テーマに直接関わる邦語文献のみならず、諸外国の研究を広く参照しながら、細々とではあっても息長く取り組んでいきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


はじめに投資する

2021-07-16 09:12:07 | 雑感

 趣味であれ運動であれ、何かやろうと決めると、最初に投資する。それをやるのに必要なものを一通り買い揃える。もちろん品質の良いものを選ぶ。
 二十代前半に狂っていたバイクには本当によく金をつぎ込んだ。まわりから呆れられるほどだった。バイクそのものは毎年最新型に買い替えていた。ヘルメット、革のつなぎ、革のブーツ、その他のウエア、バイクのメンテナンスに必要な工具などなど、毎月のバイト代はほとんどすべてそれらのために消えた。
 五年ほど乗りまくっていたが、車との接触事故を起こし、怪我はたいしたことなかったが、バイクは大破し、修理不可能となり、相手の保険金でまた新車を買えるだけのお金が下りたが、もうバイクは止めようと決めた。それ以後、数回、人のバイクを借りて、ツーリングに出かけたことはあった。が、自分で買うことはもうなかった。
 それ以後は、趣味にそんなバカなお金のかけかたをすることはなくなった。というか、仮にしたくなったとしても、経済的にできなくなった。ただ、一念発起して何か運動を始めるとき、いくらか投資した。博論完成後、なまりきった体を鍛え直そうと始めたジョギングのために、ちょっと高めのウエアと靴を買った。買った以上はやらねば、という単純な思考回路である。水泳のときもそう。毎日泳ぐという前提で、複数の水着、キャップ、ゴーグルを同時買って、それらを順に使った。そのほうが長持ちするということもある。
 今回のジョギングのためにもウエアと靴に投資することにした。特に靴は重要だ。とはいえ、まだ初心者であるから、いきなり一足何万もする本格的なものを買うのはさすがに躊躇われる。そこで、ネット上で入門レベルとして推薦されている商品を入念に比較検討した結果、ナイキ、アシックス、ミズノの製品で、ほぼ同レベルで、同価格帯のものをそれぞれ一足ずつ(いや、ナイキはタイプの違う二足)、ほぼ同時に購入した。フランスでは、七月は夏のバーゲンセール期間で、靴も30~50%引きで売られているから、この期を逃してなるものか、というわけである。
 そのうち届いているのは二足で、ナイキの一足目とアシックスの一足。昨日はナイキで走り、今日はアシックスで走った。随分感触が違う。特に踵が接地するときの反発が違う。まだどちらいいとは言えないが、自分の走り方にあったほうをいずれは選ぶことになるだろう。明日届くのはミズノ製。来週半ばにはナイキ製がもう一足届く。これだけ靴箱に並んでいるのを見れば、どうしても走りたくなりますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


カラダ日記 ― 二ヶ月間で達成した成果に祝杯を挙げる

2021-07-15 11:10:14 | 雑感

 昨日は革命記念日。フランス国民の祝日である。それとは何の関係もないが、数値目標を立ててウォーキングを始めてからちょうど丸二ヶ月経った。その間、休んだのは三日だけ。最初は、12000歩の速歩だけでぜいぜい息を切らしていた。ジョギングに切り替えるつもりなどなかった。そんなの無理、と思っていた。ところが、一月あまりウォーキングを続けているうちに、徐々に体が引き締まり、軽く感じられるようになり、体組成計の数値も目に見えて良くなってきた。すると、自ずと走ってみたくなった。といっても、はじめは10分も走れば苦しくなり、また歩きに戻る。それを繰り返した。徐々にジョギングの時間を増やし、ウォーキングを減らしていった。6月下旬には、ジョギングが主になった。7月に入ると、ほぼジョギングのみとなった。ウォーキングはジョギング後のクールダウンという位置づけになった。ただ、負荷の増やし方がちょっと速すぎたのだろう。一昨日の記事で話題にしたように、左前脛骨筋に痛み、右アキレス腱に張りを感じるようになった。無理は禁物。三日間、ウォーキングのみとした。ただ、歩く分にはどこも痛くなく、軽快に歩けるので、毎日十数キロ歩いた。家では脚のストレッチをこまめにした。といっても、机に向か座ったままできるタイプで、原稿を書いたり、参考文献を読みながらである。それでも十分に効果があった。
 これらすべての成果として、二ヶ月前に立てた数値目標をすべてクリアした。達成記念として、昨日の体組成計の数値を記しておく。体脂肪率14,0、BMI 20,6、基礎代謝量 1394kcal、内臓脂肪レベル6,0、皮下脂肪率・骨格筋率 9,8・32,8(両腕 12,6・38,3 ; 体幹 8,4・28,3 ; 両脚 11,8・50,0)。
 ワインで祝杯を挙げたことは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


目の前の聴き手に向かって発されるべき言葉と印刷された文字を読むだけの読み手に向けられるべき言葉とは同じではありえない

2021-07-14 15:47:03 | 雑感

 今週土曜日の発表原稿は、昨日、一応完成した。とはいえ、当日読み上げるだけでいいベタな原稿ではない。むしろ発表のための下原稿と言ったほうがいい。それに、45分の発表時間に対していささか長過ぎる。補足や展開の仕方によっては優に一時間は越えてしまう。明日、要所々々を図式化したパワーポイントを作成し、当日は発表が進むにつれ残された時間に応じて適当に省略して45分に収めるようにする。
 今回の発表言語は日本語だが、仏語で発表するときも、ただ読み上げるだけでいい「完成原稿」は用意しない。というか、できない。どうしてもその場でのアドリブや補足が入るからである。それを排除してただ原稿を読み上げるだけというのは私にはありえない。その通り読むだけでいい完成原稿ができているなら、それを先に参加者に渡しておいて、発表当日は、原稿読み上げは省略、いきなり議論に入ればいいではないか。そのほうが議論そのもののために時間をより有効に使える。
 ときどき、発表原稿そのものを全部パワーポイントでベタに表示する発表者がいるが、正直、意味わからん。画面一杯に貼り付けられたテキストを読むだけの時間を聴き手(じゃなくて、読み手だよね)に与えるならともかく、それに必要な時間さえも与えず、勝手に次の頁に進んでいく(何これ? 速読訓練教室なの? 「読めよ、オラ!」って感じ。あんた何様?)。
 こんなんだったら、そもそも口頭発表なんか必要ないでしょ。「どうぞ、画面上のテキストをお読みください」とだけ言ってしばし黙り、聴衆がその頁を読み終えたと確認できたら、「皆様、よろしゅうございますか? それでは次頁に移らせていただきます」とかボソッとうつむき加減に謙虚っぽく言って、粛々と次の頁に進めばいいわけでしょ。だったら、発表者そのものも必要なくねぇ? 
 今回の発表原稿は後日学会誌に掲載されることになっているが、それはまた別の話。発表を聴いてくださった方たちがまたその掲載論文を読んでくださるということもなくはないだろうが、それは考慮の外に置き、論文だけを読んでくださる方がいると仮定して、それらの方たちを主たる読者として発表原稿を推敲する。
 目の前にいる聴き手に応じて発される言葉と印刷された文字のみを読む読者に向けられた書き言葉とは同じではありえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ライン川の夜明け

2021-07-13 21:40:06 | 雑感

 夜半には雨が降り、明け方には上がるという日が続いていました。早朝ジョギングには出かけられるのですが、空はまだ雲に覆われていることが多く、時には小雨が降ってくることもありました。舗装路を走る分には何の問題もないのですが、森の中の小道には泥濘がところどころに残っていて、うっかりそれを避け損なうと靴が泥まみれになってしまいます。
 昨日は久しぶりに夜明け前からよく晴れていました。これならばライン川の向こう側に昇る朝日を写真に撮ることができるかも知れないと、スマートフォンを持って、4時50分頃、家を出ました。日の出は5時40分過ぎなので、いつもの調子で走ればライン川べりに日の出直前に着くのにはちょっと早すぎるのですが、速歩でも間に合うようにと早めに出ました。
 というのは、一昨日あたりから、走っていると左前脛骨筋に痛み、右アキレス腱に張りを感じるようになり、無理に走らないほうがよいと思ったからです。新しいジョギング用シューズに履き替えたばかりで、それがこれまで履いていたのと踵の感触がかなり異なり、足がまだそれに慣れておらず、その負担が痛みと張りを引き起こしているのではないかと思います。数日走るのを控え、様子を見るつもりです。
 ライン川べりには日の出前に余裕をもって到着でき、土手を下流に向かって三キロほど歩きながら日の出を待ちました。ライン川対岸の樹々の上に昇る朝日を写真に収めることができましたが、残念ながら、あまりいい写真は撮れませんでした。今日の記事の冒頭に貼り付けたのはその中の一枚です。
 写真を撮り終え、森の中に戻るとき、いつもとは違う小道を選んだら、池が増水していて道が分断されて先に進めなかったり、行き止まりだったりして、えらく遠回りするはめになり、自宅に帰り着いたのは7時40分過ぎ、思わぬ長歩きになってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


近江荒都歌の背景を織り成す人の世の綾

2021-07-12 00:00:00 | 読游摘録

 森公章『「白村江」以後 国家危機と東アジア外交』(講談社選書メチエ 一九九八年)によれば、「白村江の敗戦後の不安定な世相の中、中央豪族たちは、天智大王が慣れ親しんだ飛鳥の地から畿外の近江に都をうつし、新しい政治を展開しようとしていることにとまどいを覚えていたのに加え、百済人を登用することに抵抗を感じていたものと思われる」。
 柿本人麻呂が近江荒都歌の第一反歌で「大宮人」と詠い、第二反歌で「昔の人」と詠うとき、その中には近江大津宮に仕え、大友皇子とも親しくしていた百済からの渡来人たちも含まれていたであろう。何かが決定的に過ぎ去ってしまい、もう二度と戻っては来ない、という痛切な想いが人麻呂にこれらの歌を詠ませたと思われる。
 すべての百済人が近江方についたわけではない。天武朝以後も、数多くの百済人が学問や技術で朝廷に奉仕している。ただ、「一方で天武朝以降は新羅との通交が活発におこなわれ、新羅の影響を受けながら、中国風の律令制が導入されたことも事実である。したがって壬申の乱は、天武天皇の朝廷が亡命百済人との関係や百済文化に依存する度合いを考え直す契機になったと位置づけることができよう」(森公章上掲書)。
 これらの政治的背景を念頭に置いて近江荒都歌を読むとき、歌そのものの文学的解釈の彼方に、その歌の背景として織り成されていた人の世の綾が見えてくる。