喜びが沸き起こるとき、すべてが伸び広がる。呼吸はより大きく深くなり、それまで縮こまって自分が居る場所を占めていただけの私たちの体は、喜びとともに身を起こし、生き生きと動き出す。飛び上がり、走り、踊りたくなる。なぜなら、喜びとともに、伸び広がった空間の中で、私たちはより活動的になるから。
それまで細く締めつけられるようだった喉も伸び広がり、歓喜の叫びを上げ、歌い、大きな声で笑いたくなる。笑ったり、泣いたり、泣きながら笑ったり、笑いながら泣いたり、どうだってかまわない。それらの過剰は到来したものの過剰に見合う応答なのだ。私たちの顔は他者に向かって開かれ、眼差しは輝く。
何が到来したのか。それは〈未-来〉だ。しかし、それはただ投射され、計算され、予測され、想像されただけではない。それは今ここに生じている。この〈今〉、この〈ここ〉は、今ここに限局され得ないからこそ、すべては伸び広がる。
喜びにあっては、〈そこ〉が〈ここ〉に来る。〈そこ〉が〈ここ〉に成る。しかし、それは、〈そこ〉が〈ここ〉で消尽されて終わることでも、〈ここ〉で完遂されて終わることでもない。だから、いや増しに増し、〈ここ〉から出発しなければならない。それは、〈ここ〉を逃れるためではない。それは、〈そこ〉がここで己自身を開くという約束が〈ここ〉で果たされるためだ。
喜びは一つの状態ではない。それは、働きであり、動きであり、生命の起動である。この働きは、世界の人々に共通の働きであり、心理学の概念の枠組みや「主体」の思考の中などに閉じ込められうるものではない。喜びは、実際、空間を与え、領野を拓き、活動をもたらす。喜びのうちにあるとは、突如眼前に開かれた世界の大海原に伸びやかに漕ぎいでているということだ。喜びの経験は、常に、広がりつつある空間の経験だ。
それは自己空間なのか。世界空間なのか。内的空間なのか、外的空間なのか。喜びの喜びたる所以は、このような二元論的区別をもはや役に立たないどうでもよいものにしてしまうことだ。それは、自己と世界との不可分的・同時的経験なのだ。
このような喜びの経験が西洋精神史の中で dilatation(膨張・拡張・伸び広がり)という語(ラテン語では dilatatio)を使って記述されているテキストを、アウグスティヌスから近代に至るまで、主に神秘家と詩人たちの作品の中に探索することで、一つの「喜びの系譜学」を試みたのが Jean-Louis Chrétien, La joie spacieuse. Essai sur la dilatation, Éditions de Minuit, 2007 である。
エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky)の Meaning in the Visual Arts (1957)には、『視覚芸術の意味』(岩崎美術社、美術名著選書 18、1971年 )という邦訳がある。未見だが、おそらく原著の全訳であろう。仏語版 L’œuvre d’art et ses significations. “Essais sur les arts visuels”, Gallimard, 1969 は、著者の意向を汲んでフランスの読者向けに編集し直されており、編訳者による解題が巻頭に置かれている。
その解題によると、仏語版の第一論文 « L’histoire d’art est une discipline humaniste » は原著のそれ « The History of Art as a Humanistic Discipline » の訳である。この論文は最晩年のカントのエピソードから始まる。
亡くなる九日前、カントは主治医を自宅に迎える。老齢と病気で体は衰弱し、しかもほとんど目も見えなくなっている。ところが、主治医が来ると、ソファから立ち上がり、そのまま立っている。弱った体は震えており、何か呟いているが聞き取れない。主治医は、自分が座るまではカントは座るつもりがないことにようやく気づき、腰を下ろす。すると、カントは付き添いに助けてもらって自分の席に戻る。少し元気を取り戻したとき、カントはこう言う。« Das Gefühl für Humanität hat mich noch nicht verlassen » (「人間的感性はまだ私を見捨ててはいない」)。そのとき居合わせた人たちは、それを聞いて涙がこみあげてくる。
このエピソードによって、パノフスキーは、カントによって Humanität という語に与えらた特別に深い意味を浮き彫りにする。それは、自らそれらを承認し自らにそれらを課すところの諸原則と、病い、衰弱、そして「道徳性」という語が含意するすべてへの最終的な従順との対比について、一人の人間が懐くどこまでも誇り高く悲劇的な意識である。
自ら承認した原則しか認めず、それに自ら従うことを原理とする理性は、その理性によっては如何ともしがたい自然の摂理には従容と従うことを己自身による要請として受け入れなくてはならない。近代人の孤独な理性の尊厳と悲劇がそこにある。
相変わらずスタロバンスキーの著作の森の中を日課のように「散策」しています。今日は、Largesse, Gallimard, coll. « Art et artistes », nouvelle édition revue et corrigée par l’auteur, 2007 の Liminaire (緒言)の最初の段落を繰り返し読んでいました。
その段落は、ルネサンス期のイタリアの画家アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(Antonio Allegri da Correggio, 1489年頃–1534年)の Sainte Marie Madelaine nue à mi-corps ou Ève tendant la pomme (1526-1528) という二つのタイトルをもったデッサン(ルーヴル美術館所蔵。記事の下の写真をクリックするとその拡大が別のウインドウで開きます)についての洞察に富んだ随想になっています。それがまた散文詩のように美しい文章なのです。
La saveur a surpris la bouche. La pomme est offerte par la main qui l’a cueillie ; les doigts qui ont désobéi vont bientôt s’ouvrir pour la main qui saisira le fruit. L’un des plus beaux dessins qui soient, l’Ève du Corrège, figure le geste encore innocent, déjà coupable, qui fait triompher la tentation. Le miracle, dans ce dessin, est que le fruit présenté n’est pas séparable des paupières baissées, du jeune sein, du bras tendu. Le fruit et la femme sont liés si étroitement qu’ils ne forment qu’un unique don. Le délice éclaire le visage de celle qui offre le partage. Elle n’a nulle honte : elle ignore encore qu’elle est nue et qu’elle se donne en donnant. Le geste, dans son présent irrévocable, dans sa grave douceur, inaugure l’histoire humaine. Ce qui est à l’œuvre, derrière la scène, c’est à la fois la malice du serpent et la liberté humaine livrée au péril de la connaissance (op. cit., p. 5).
コレッジオのデッサンに対する図像解釈学の簡潔で洗練された適用が文学的香気の立ち上る見事な散文によって表現されています。構文的には少しも難しいところのないフランス語なのですが、とても拙い私訳を試みる気になりません。原文の美しさを損なうことしか私にはできませんから。ただただ感嘆しつつ味読するばかりです。
来年の三月、「身体とメッセージ / 翻訳と翻案の構造」と題された国際演劇・視覚芸術学会シンポジウムがストラスブール大学で三日間に渡って開催される。主催者から研究発表しないかとの誘いを先月末に受け、折角の機会だから発表したいと思っている。今月末までに発表タイトルを送ることになっていて、ここ数日ずっと発表タイトル並びに内容について考えている。
今のところ、タイトルは「身体の詩学」(poétique du corps)にしようかと思っている。このタイトルの下、今はまだ漠然としているが、次のような問題を考えてみたい。
言葉は、身体の発声器官によってある空間内に声となって響き、その声が人の心身に触れるとき、そのほとんど身体的な接触によって何かが人から人へと伝わる。その伝わるものはいわゆる意味に還元することはできない。声の分有によって何が共有されるのか。ある言葉が詩になるのはどのようにしてなのか。
準備ノートも取り始めた。だいたいこういうときは、鍵になりそうな言葉を思いつくままに書きつけることから始める。
そのノートの最初に書きつけた言葉は「ロゴファニー logophanie」である。ロベール仏語大辞典にも載っていない言葉だが、5月23日の記事で言及した TLFi(Le Trésoir de la Langue Française informatisé)には載っている。「神の御言葉の受肉」(incarnation du verbe divin)ということである。しかし、それは Littré の記載に準拠している。そこには「神学用語。御言葉の顕現。その受肉」(Terme de théologie. La manifestation du Verbe ; son incarnation)とある。
この言葉は、ヴィトール・フォン・ヴァイツゼッカーの『パトゾフィー』(Pathosophie)の鍵言葉の一つでもあるのだが、ヴァイツゼッカーに準拠してこの言葉を用いようというわけではない。むしろそれに触発されながらも、言葉が声となって響くときに起こりうる世界変容をロゴファニーと呼びたいのである。
しかし、まだこれは思いつきの域を出ない。この問題について月末まで考え続ける。
今日の記事は、とりとめのない呟きです。
エランベルジェの『無意識の発見』を読んでいて、無意識の世界の旅は、未知の大海原の危険に満ちた航海に似ている、と思った。進路を見失う危険もあるし、航海中に悪天候に見舞われることもあるし、難破の恐れもつねにある。意識の陸地にまた戻って来られるかどうかは保証の限りではない。
「創造の病い」を語ることができるのは、この無意識の世界の危険な旅から無事帰還することができた人たちについてだけだ。帰還した意識の世界の中で新たに生産的な仕事ができるようになってはじめて、その人が経過した病いを「創造の病い」だったと言うことができる。罹患した時点でそれがすでに「創造の病い」であることが確定しているような「創造的疾患」があるわけではない。
エランベルジェによれば、危険を孕んだ無意識の世界の旅からの帰還を可能にするのは、何らかの仕方での現実世界との恒常的な接触である。この点は、上記の比喩ではうまく説明できない。航海に出ることは、普段の現実世界を離れた非日常への出立なのだから。
孤立感に苛まれながら無意識の世界の旅を続けつつ、日常では公私両面において他者との関係に支障が発生しない程度に普通に過ごす。そんなことがどうっやたら可能なのだろうか。
自伝が必ずしも事実を伝えるとは限らない。著者本人が意図して事実を歪曲しようしていなくても、記憶違いの場合を除いても、できるだけ正直にありのままを記述しよとしたとしても、そこに書かれていることをそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。
どんなに詳細な自伝であっても、必ず語り落とされたことある。すべてを語るということはそもそも不可能である。語られていることよりも、語られていないことのほうがその自伝の著者をよりよく知る手掛かりになることもある。
エランベルジェは、『無意識の発見』第九章「カール・グスタフ・ユングと分析心理学」で、ユングの自伝に所々で依拠しつつも、そこに語られていないことを他の資料に拠って補っていく。そうすることよって、自伝には現れて来ないユングの隠された表情とも言えるような側面を浮かび上がらせていく。
伝記の醍醐味の一つは、著者が出所を異にする様々の資料を慎重に辛抱強く読み込みながら、それらを組合せていわば複雑なモチーフが交錯する織物を織るように、記述の対象である人物の多面性を徐々に浮かび上がらせていくところにある。
エランベルジェは、『無意識の発見』の中のフロイトの生涯と精神分析の誕生を扱った第七章で、フロイトが一八九四年から一九〇〇年にかけて疾患した奇妙な病の経過とその間の経験について詳述した後、そこから「創造の病い」」の定義と諸特徴を引き出す。そこを以下に摘録しておく。
「創造の病い」は、一般に、集中的な知的活動、長時間に渡る考察、省察・瞑想、ある真理の探究などに引き続いて発生する。外見上、それは様々な形を取る。うつ病、神経症、心身相関疾患、さらには精神障害など。その症状がどのようなものであれ、それらは苦痛を伴うものであり、相対的寛解と重篤化を何度か繰り返す。その病いに苦しんでいる間、その病者はある心配事によってその心が支配されてしまう。病者は、その心配事をほのめかすこともあるが、大抵の場合それを他者に打ち明けはしない。そして、本人にとって何よりも大切なものの探究に取り憑かれてしまう。
このような特徴を示す「創造の病い」は、多くの場合、社会的な職業的活動や普通の家庭生活を妨げることはない。しかし、たとえその社会的活動を継続していても、病者は自分自身のことにほとんど没入してしまっている。それゆえ、病者は、極度な孤立感に苦しむ。たとえ、この試練の間、指導者が病者に付き添っていたとしても、やはりそのような孤立感に苦しむ。
この病いの終結は、多くの場合、急速であり、精神的高揚と生きる喜びを感じる過程を経過する。一旦快癒すると、人格の持続的な変容が現れる。かつての病者は、自分は知的あるいは精神的な発見をした、新しい世界を発見をした、その世界は残りの人生すべてをかけても探索し尽くせないほどだという確信を病後は持てるようになる。
二〇一三年六月二日に始めたこのブログは今日から五年目に入ります。この四年間毎日投稿し、何回かは日に二つの記事を投稿したこともありましたから、記事総数は千五百本あまりになりました。
随分いろいろ書いたようにも思いますが、まだ四年間ですし、いつも言うように、浅学菲才は如何ともしがたく、旧記事を読み返して、なんだこんなことしか書けていなかったのかと、自分が情けなくなることも一再ならずあります。それでも、自己満足にすぎないとしても、自分で気に入っている記事もなくはありません。
最初は、当時の精神的危機をなんとか自力で乗り越えるために、いわば自己治療法として書き始めたに過ぎませんでした。いつまで続くか自分でもわかりませんでした。ただ、もともと文章を書くことには職業柄慣れてはいましたし、ブログを始める以前にすでにそれなりに文章修業は積んできてはいました。
しかし、毎日ブログの記事を書くことが習慣化したことによって、そこに書くことが研究ノート・講義ノート・読書記録などになったり、あるいはもっと自由な思索の実践になったりして、今ではすっかり自分の生活の欠かせない一部になっています。それには、拙ブログの記事を読んでくださる方がいらっしゃるということも大きく与っています。もし、自分だけが見るノートとして書き始めていたとしたら、ここまで続かなかったのではないかと思っています。
あるテーマについて連載の形で書くことは、一定の問題について、それぞれの日に何があろうとも、とにかく毎日考え続けることを可能にしてくれます。そのときの思いつきや感想をただ記すだけであっても、そのことが自ずと自分を対象化し、自分を観察することを可能にしてくれます。読んだ本について記事を書くことは、読み方をより積極的・生産的なものにしてくれます。いずれの場合も、書くことと考えることとが追いつ追われつしていて、随想録になったり、随録想になったりしています。
日暮れて途遠しの感は日に日に強まるばかりですが、その日その日に考えることをこれからも毎日書き続けていくつもりです。
エランベルジェの論文 « La notion de maladie créatrice »(Dialogue, Canadian Philosophical Review, III, 1964, p. 25-41)は、ケンブリッジ大学出版局の Cambridge core というサイトから23€で電子版が入手可能なようなので、同サイトに登録しようとしたのだが、登録手続きは成功したとの確認メールは届いたのにもかかわらず、なぜかログインできない。何度やってもうまくいかない。どうして?
本論文の要旨だけは上掲サイトで読める。この要旨がどれほど論文の内容に忠実なのか、今は確かめようがないが、以下に摘録しておく。
「創造の病い」という概念は、ノヴァーリスにその萌芽を見ることができる。ある断章でノヴァーリスはこう言っている。「病いは、確かに、人類にとって大事なものである。病いはかくも数多あり、各人はそれらとこれほど戦っているのだから。しかし、 私たちは、それら病いを使う技術を不完全にしか知っていない。病いは、おそらく、私たちの思考とその他の諸活動にとって最も重要な素材であり刺激である。知的領野、道徳・宗教の領野において、豊かな収穫が病いからなされるべきであろうと私には思われる。それに、さらに豊かな実りをもたらしてくれる領野が外にあるかも知れない。」また、別の箇所では、「沈鬱症はきわめて注目すべき病いだ。瑣細な沈鬱症と崇高な沈鬱症とがある。この後者によって、魂へと至る途を見いだそうと試みなければならないだろう」と記している。この文章が言わんとしていることは、ノヴァーリスにとって、高度な本質をもった病いが、いわば、健康よりも健やかな病いがある、ということであろうと思われる。逆に、病気ゆえに現れる、偽りの見かけだけの健康もあるだろう。それは、革命下の国家がその事例を与えてくれるような「健全さ」である。「病気と脆弱さによる(偽の)エネルギーがある。そのエネルギーは、真正のエネルギーよりも強力であるかのような印象を与える。しかし、そのエネルギーは、さらに深刻な脆弱さの中についには屈する。」