内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

健康よりも健やかな病いがある ― ノヴァーリスに見られる「創造の病い」の萌芽

2017-06-01 14:17:13 | 読游摘録

 エランベルジェの論文 « La notion de maladie créatrice »(Dialogue, Canadian Philosophical Review, III, 1964, p. 25-41)は、ケンブリッジ大学出版局の Cambridge core というサイトから23€で電子版が入手可能なようなので、同サイトに登録しようとしたのだが、登録手続きは成功したとの確認メールは届いたのにもかかわらず、なぜかログインできない。何度やってもうまくいかない。どうして?
 本論文の要旨だけは上掲サイトで読める。この要旨がどれほど論文の内容に忠実なのか、今は確かめようがないが、以下に摘録しておく。
 「創造の病い」という概念は、ノヴァーリスにその萌芽を見ることができる。ある断章でノヴァーリスはこう言っている。「病いは、確かに、人類にとって大事なものである。病いはかくも数多あり、各人はそれらとこれほど戦っているのだから。しかし、 私たちは、それら病いを使う技術を不完全にしか知っていない。病いは、おそらく、私たちの思考とその他の諸活動にとって最も重要な素材であり刺激である。知的領野、道徳・宗教の領野において、豊かな収穫が病いからなされるべきであろうと私には思われる。それに、さらに豊かな実りをもたらしてくれる領野が外にあるかも知れない。」また、別の箇所では、「沈鬱症はきわめて注目すべき病いだ。瑣細な沈鬱症と崇高な沈鬱症とがある。この後者によって、魂へと至る途を見いだそうと試みなければならないだろう」と記している。この文章が言わんとしていることは、ノヴァーリスにとって、高度な本質をもった病いが、いわば、健康よりも健やかな病いがある、ということであろうと思われる。逆に、病気ゆえに現れる、偽りの見かけだけの健康もあるだろう。それは、革命下の国家がその事例を与えてくれるような「健全さ」である。「病気と脆弱さによる(偽の)エネルギーがある。そのエネルギーは、真正のエネルギーよりも強力であるかのような印象を与える。しかし、そのエネルギーは、さらに深刻な脆弱さの中についには屈する。」