内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

今年後半から来年三月にかけての研究並びに原稿執筆計画と来年度前期の講義と演習の予定

2017-06-28 19:43:19 | 雑感

 一年の前半が終わろうとしている今、今年後半から来年三月までの研究並びに原稿執筆計画と来年度前期の講義と演習の予定を整理しておこう。
 九月からの学科長としての一切の職責は、そこにはもちろん含まれないし、そもそも考えたくもないのだが、とにかく準備は夏休み前に「粛々と」しておかなくてはならない。
 今日は研究並びに原稿執筆計画についてのみ書き留めておく。
 来月末から五日間の東京での集中講義の準備を兼ねて、シモンドンの Du mode d’existence des objets techniqeus を七月一ヶ月かけてノートを取りながら注意深く読み込むこと。特に技術・文化・自然間の相互作用についてのシモンドンの所説を現代の高度技術社会の現実の中で検証すること。
 九月の学習院大学の学生研修のプログラムの一つとしての講演の準備。タイトルは、三年前に別の研修で話したときと同様、「自己認識の方法としての異文化理解 ― 自己変容としての理解」とした。内容は夏休み中に「最新版」にアップデートする。
 十一月のパリでの ENOJP 第三回総会での大森荘蔵についてのパネルでの発表原稿を準備すること。このパネルは仏語圏で初の大森哲学についての研究発表の機会になる。私以外に四人このパネルで発表する。私は大森最後の文章「自分と出会う — 意識こそ人と世界を隔てる元凶」の注釈という形で現代哲学の問題の一つをそこから引き出し、展開することを試みる。
 十二月末が原稿提出締切りの日本思想史事典の執筆担当項目「京都学派の人びと」の準備を他の仕事の合間に少しずつ少しずつ資料に当たりつつ進めること。
 来年三月のストラスブール大学で開催される国際演劇、視覚芸術学会シンポジウム「身体とメッセージ/ 翻訳と翻案の構造」での仏語発表原稿の準備。演劇の哲学という私にとって未踏の分野に挑む。今月末がテーマ提案の締切りで、ここ数日ずっとそのことを考えていた。タイトルはまだ仮題だが「行為的身体の詩学 ― 舞台上の言語表現の顕現 ― Poétique du corps agissant — manifestation du verbe sur la scène —」とした。Henri Gouhier, L’essence du théâtreLe théâtre et l’existence(Vrin, 2002 ; 2004)の二冊を土台として、Philosophie du théâtre (textes réunis par M. Hauesser et al., Vrin, 2008) を参照しつつ、舞台芸術表現固有の実在性を複数の相対立する声からなるポリフォニーの中に到来する「言葉の受肉 logophanie」として捉えることを試みる。