内的自己対話-川の畔のささめごと

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相対的動態関係表現詞としての人称代名詞 ― 藤井貞和『日本文法体系』(ちくま新書、二〇一六年)

2018-08-26 18:41:38 | 読游摘録

 藤井貞和『日本文法体系』は、『文法的詩学』(笠間書院、二〇一二年)、『文法的詩学その動態』(同、二〇一五年)で記述した内容を新たに考察し直して、コンパクトに纏めたものである。
 時枝文法の「詞」と「辞」との区別を大前提としつつ、非自立語である助動辞(藤井の用語に従う)「き」「り」「し」「む」の四項を頂点とする四辺形と四面体を基本構造とした、日本語文法の藤井独自の体系的記述の試みである。
 個々の助動辞(そして助辞もまた)をバラバラに規定するのではなく、相互限定的な関係構造の中で規定しようというその基本方針は、田辺の種の論理の用語を転用すれば、日本文法体系を絶対媒介の弁証法の動態構造として捉えようとする意図に基づいている。
 さらに縁遠いように見える遠方の観点からその試みを別様に特徴づけるならば、シモンドンの個体化の哲学の言語学的応用とも見なせる。つまり、一つの言語の生成史を大きさのオーダーを異にした複数の次元からなる個体化のプロセスとして捉える試みであるとも言うことができる。
 この基本方針は、非自立語である助動辞・助辞にだけ適用されるのではなく、自立語である名詞や動詞にも適用される。
 例えば、人称代名詞について、夙に時枝が『日本文法』(岩波書店、一九五〇年)で「常に言語主體卽ち話手と事物との關係を表現する場合にのみ用ゐる語である」と指摘している(六二頁)のを踏まえて、藤井は、源氏物語の冒頭の一節「はじめより、我はと思ひ上がりたまへる御方々」を引き、「私が一番だ」とプライドの高い妃たちが自身との関係から「我」と言うのだとする(二四五頁)
 つまり、「我」は、それ自体として存在する一個の実体を指すのではなく、他者(たち)から区別されるべき場面における自己の自己に対するその時の関係を表現している。その他の人称代名詞もすべて話し手にとっての相対的関係表現詞であって、文脈から独立して存在する実体の指示詞ではない。だからこそ、日本語には各人称について複数の代名詞があり、それらのうちの一つがその場での関係に応じて選択される。










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