内的自己対話-川の畔のささめごと

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今年の掉尾を飾るに相応しい出版に喝采を送る ― 安藤昌益『自然真営道』(講談社学術文庫)

2021-12-27 02:59:17 | 読游摘録

 これはまったく個人的な狭い視野の中に入ってきた今年の新刊書籍(しかもそのほとんどは文庫か新書である)中でのことであるが、今月新刊のうちの一冊、安藤昌益の『自然真営道』(講談社学術文庫 野口武彦 抄訳)の衝撃は大きい。
 本書の原本は、1971年に『日本の名著19 安藤昌益』(野口武彦責任編集)として中央公論社から刊行された。ちょうど半世紀前である。その後、中公バックス版が1984年に刊行され、今回の版は、中公バックス版から「自然真営道(抄)」、野口氏による解説、年譜を載録したものである。
 管啓次郎氏の書き下ろしエッセイ「昌益の道、土の道」が巻頭に置かれている。このエッセイが昌益のことなど何も知らない読者へのインパクトのあるイントロダクションになっている。このエッセイを読んだら、野口武彦による渾身の現代語訳と訳注をどうしても読んでみたくなる。その野口氏による解説「土の思想家 安藤昌益」の分量も熱量もすごい。
 菅氏のエッセイから少しだけ抜粋する。

そもそも、昌益が問う自然が「自然/文化」といったありきたりな対立の一項をさすのではないことはいうまでもない。それは nature ではない。昌益はこれを「自リ然ル(ヒトリスル)」と読む。その意味するところは、野口によれば、宇宙万物の根源たる土がひとりで運行して木・火・金・水の四気に変化展開することなのだそうだ。

土がすべて。宇宙と生命の中心に土があり、われわれは土を耕し、それで生きてゆく。人だけではない、獣も、鳥も、魚だって、その体の中心には土があり、土が生きている、土で生きている。それではこれを生命の根本原理として、宇宙を、生命圏を、社会を、生活を、どう捉えなおせばいいのだろうか。

昌益が出した答えは「直耕」だった。土をみずから耕すという本来の道が失われているのを彼は憂えた。[中略]土地に忠実に、生涯をつうじて農民たちの味方であり、農の大切さという観点から社会制度とあらゆる権力、神話とあらゆる思想家たちを徹底的に批判した。口調は激しい。それというのも農民たちの窮乏を目の当たりにしていたからであり、その原因となるものを見抜いていたからだろう。ニンゲンの暮らしという観点からすれば、糾されるべきは不耕貪食の徒、つまりみずから食糧生産にたずさわることなく、他人の労働の成果を横どりして生きる者たちということになる。人の道は「直耕」にある。これは昌益の造語だが、同時に彼はこれを「直ら(てずから)耕す」とも読み、それを人の農のみならず、万象のさまざまなアクションにもあてはめて考えた。

ルソーのフランス語は現代人にもふつうに読める。昌益の日本語は現代語訳されたものでなければそうはいかない。言語的連続性のこの喪失は、逆に、日本列島社会が克服できずにいるさまざまな問題の連続性を証言しているのではないか。昌益がしめす道を眺めやりながら、改めて土にふれながら、そんなことを考えてみる必要がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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