内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

近況報告を強いられることの苦痛

2024-06-07 15:18:07 | 雑感

 近況を知らせてほしいというメールをある人から年に一度か二度もらう。かねて親しくしていた人だが、いろいろあって今は疎遠になっている。メールをもらうたびに憂鬱になる。近況を知らせるメールを書く気になれないのだ。だから一言の返事さえしないこともある。これは日頃の私の習慣に反する。普段は、返事は速く、相手の求めにもちゃんと応じようとする。
 だが、その人には近況など知らせたくないのだ。こちらから知らせたいことなどなにもない。それに、こちらの近況を聞くまえに、まず自分の近況を知らせるのが順序というものではないのか。自分のことはほとんど語ろうとせず、なぜこちらの近況だけを欲するのか。そのことにも腹が立つ。
 誰にでも送れる当たり障りのない簡単な近況報告ならば三分もあれば書ける。その人が求めているのはそんなものではないことはわかっている。だが、その求めに応じるような近況報告を書くことは私には苦痛でしかない。なぜなら、それはあたかも、自分が嫌いな自分の顔を鏡に映して写生せよ、それもできるだけ細部まで丁寧に時間をかけて、と要求されているようなものだからである。求めた本人はそんなつもりはないと言うだろう。だが、求められた方にとってはそうなのだ。
 ごく具体的なことについて問われたり、頼まれたりすれば、それらには直ちに応答し、できることはしよう。ことのついでに一言近況を添えてもいい。だが、近況を知らせることそのことを求めるのはどうかやめてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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