内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『日本を問い直す ―― 人類学者の視座』

2015-01-28 19:01:54 | 読游摘録

 私が年末年始日本に滞在している間にK先生が私のフランスの勤務大学宛に送ってくださったご著書・編著・翻訳計十八冊を学科教務秘書課に引き取りに行ってから、今日でちょうど二週間になる。その間、毎日必ずそのいずれかを読み、引き取ってから三日後からは、このブログの記事でそれらの本の紹介とそれらの本に触発された私の感想を記してきた。
 今日話題にするのは、その十七冊目で、先生のお書きになった本の紹介としてはこれが最後になる。残りの一冊は、レヴィ・ストロースの翻訳なのだが、これについては明日以降数回にわたって記事にしていく予定である。
 今日の記事のタイトルとして掲げたのがその書名である。二〇一〇年年十二月に青土社から刊行されている。同社の月刊誌『現代思想』二〇〇八年二月号から二〇一〇年十一月号まで、「日本を問い直す」という題で計三十回書いた文章に手を入れ、一冊にまとめたものである。
 目次を見るとわかるが、折々の出来事に触れつつ政治的な問題に立ち入っている文章が目立つ。日本の近隣諸国との関係、歴史の記憶、国家のアイデンティティ、人種問題、戦争体験、戦争責任論、靖国問題等についての先生の考察と見解が、常に自分自身の経験、具体例・具体的資料、自身のフィールドワークの成果等を手掛かりとしながら、展開されている。
 十分に予め練られた構想に基づいて書き始められたものではなく、「大まかに設定した問題意識をもとに書き進み、思考が展開するままに書き継いでいったので、自分でも予期しなかった言葉の連なりが生まれた」と言う。それだけにそれぞれの回のテーマについてそのときの思索の跡が読み取れる。
 その大まかな問題設定は、第一回目の冒頭に次のように提示されている。

 人類学者である私が問い直したい「日本」は、現在の呼称での日本列島の住民がつくる、日本以前のヒトの集合であり、明治維新から七七年で滅びた大日本帝国であり、昭和二〇年八月一五日以降の戦後日本である(11頁)。

 そこには、自分もまたその中で生きてきた近現代日本史を、そこでの自らの経験に基づきながら、人類史的眼差しで根本的に見直そうという姿勢がはっきりと示されている。第七回の冒頭では、この問題設定から次のようなより明確化された問いが生まれてくる。

 この本で私が問い直したいのは、単一の人間集合で構成されて来たのではない日本列島とその文化の重層性、多元性であり、徳川幕藩体制、そして明治以後の神懸かり軍国主義と、それらによっても息の根を止められなかった、半禁欲的町人文化、市民社会との拮抗関係だ。さらに、明治維新が当時日本の置かれた国際環境において、唯一最善の撰択であったか、明治日本が、欧米列強のアジア進出に直面して、日本と似た状況に置かれていた東アジアの諸民族とは連帯せず、彼らを欧米と共に侵略する側にまわったのはなぜかについても、問い直してゆきたい(83頁)。

 この問いを出発点として、福沢諭吉の「脱亜論」が三回にわたって検討され、その「脱亜論」の中で「謝絶すべき悪友」とされた中国、「いま超大国への道を進んでいるともいわれる中国を、国家として点検するにはどうすればよいか」という問いに転じていく。そのときの手掛かりが「天安門事件」である。その数回後に「人間が国家に帰属するということ」というそれまでの議論を一般化するテーマが出される。そこから今度は「黒人であること」という人種問題へと転ずる。それを巡ってまた数回。そして、再びに、日本と台湾について考える。
 この本を読むことによって、私たちは、自ら一つ一つの問題を問い直しつつ考えていくK先生のその時その時の思索の現場に立ち会うことになる。それだけではない。そこで問われている問題を読み手もまた己の現実生活の具体的場面において考えるようにと、促されていることに気づく。












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