内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

たまゆらの露も涙もとどまらず

2014-09-24 18:40:07 | 講義の余白から

 昨晩は一旦十一時過ぎに床につき、午前二時前に起床し、それから午前九時まで、ほぼ休憩なしで今日の授業のパワーポイント作りに取り組んだ。途中で一度睡魔に襲われかけたが、それを振り払った後は集中力を保ったまま作業を続けることができた。二時間の授業に対してちょっと準備しすぎの感はあったが、もう終わりの方は自分の楽しみでやっているようなものであった。
 作成作業を終えてホッとしているところに、かねてから注文してあった敷布団の配達の連絡が入り、三十分後には届いた。そう、フランスにも布団はあるのである。というか、それなりに普及していて、専門店も各地にある。ストラスブールにもある。日本からの輸入ではない。だから、日本人が馴染んでいる布団とはちょっと違う(サイズもさまざまでなんとダブルベッド相当サイズのもある。私が購入したのはセミダブル)。最初にストラスブールに住んだときも、フランス人の友人が布団を貸してくれて、それが意外なほど快適だったことも、今回の購入の一つの理由になっている。
 ただ、今日届いた布団を注文したのは、八月二十二日のことであり、つまり、発注から一月以上かかったわけである(時間がかかるのはガスの開栓だけではないのである)。ただ、これは購入時に店主から知らされていたことで、それでもいいかと念を押された上での注文であった。その同じ日に畳も(そう、い草製のちゃんとした畳も売っている。こちらもサイズはいろいろ)二枚注文したのであるが、これは翌週半ばには届いた。その日から今日まで、実は、敷布団無しで寝ていた。最初は畳の上にエアマット(畳が来る前は敷物としてはそれしか寝具がなかった)を敷いていたのだが、これがとにかく寝にくい。軽すぎるし、狭ますぎる。それで数日後にはそのエアマットをどけて、畳の上に薄いコム製のマットと毛布を二つ折りにした上に約一月間寝ていたわけである。負け惜しみではないが、こんなキャンプ生活みたいな寝方がそれほど苦痛ではなかった。けっこうよく寝られたからである。しかし、こんな「仮寝」生活も昨日まででおしまい、今日から畳の上に敷かれたふかふかの布団の上で寝られる。それだけでも嬉しくなるが(根が単純な作りなのである)、明日の授業のためのパワーポイントも作らなくてはならないから、今晩もわずかしか睡眠時間は取れないであろう。
 ところで、肝心の今日の授業はどうだったか。パワーポイントの出来そのものは悪くなかったとは思うのだが、やはり難しい内容を詰め込み過ぎた。いよいよ授業の最後のほうで「妖艶」「有心」「幽玄」を説明するところで、時間が足りなくなった。駆け足で話を済ませられるような事柄ではないので(というか、そんなことしたくないので)、具体例を挙げての説明は一部来週に持ち越した。ただ、藤原定家自身が「幽玄様」の例歌とする次の歌だけは紹介した。定家絶唱の一首である。

たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風 (新古今・哀傷)

 この歌の塚本邦雄の鑑賞文を引いて今日の記事を締め括る。詩魂同士の共振だけが可能にするとでも言いたくなるような、見事なまでに簡潔かつ味わい深い鑑賞であると思う。

「母身まかりける秋に、野分しける日、もと住み侍りける所に罷りて」の詞書あり、白銀の直線を斜に、一息に描いたような、悲痛な調べは心を刺す。テンポの早さまた無類。定家の母は建久四年二月十三日の沒、作者は三十一歳であった。「玉響」(たまゆら)は暫くの間の意ながら、原義は玉の觸れあふ響、すなわち涙の珠散る悲しみの音をも傳えてゐる。

(塚本邦雄撰『清唱千首』冨山房百科文庫)









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