内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

旺盛な好奇心が歩かせ、歩くことが気を養う ― 神沢杜口の健康法

2021-01-23 16:37:40 | 読游摘録

 立川昭二『日本人の死生観』の「足るを知る――神沢杜口」の章からの摘録を続ける。それに昨日の記事のごとく若干の感想を付す。
 神沢杜口の生き方は遁世ではない。厭世的でもない。行脚に出るのでも、旅に生きるのでもない。田舎暮らしではなく、都会暮らしを選ぶ。私生活は慎み煩わされないように心がけながらも、人間に対して旺盛な好奇心を持ち続け、あらゆる情報や事件に興味を示し、それを記録し続けた。その観察記録が『翁草』全二百巻となった。しかも、七十九歳のときに京の大火で隠宅と『翁草』の原稿の大半とを一度失った上でのことである。

雲水の身も羨しげなれど、我都の美に馴るゝ事八十年、今更雲水の望は絶ぬ。其美と云は、華奢の美には非ず、衣は木綿あたたかし、布涼し、食は米白く味噌醤油うまし、是都の美ならずや。はた行脚の慕はしき時は、千里行の千の字を取りのけて、十里行にして、畿内近国を経歴し、わびしらになれば、日を経ずして我栖へもどる、行もかへるもすみやかなれば、倦事なく、懶き事もなく、只たのしき許なり。

 杜口のように、独り暮らしの老人が質素ながらも余裕をもって好きなことに没頭できるには、まずそれでも経済的に生活が成り立つのでなくてはならない。そして、世間や係累に煩わされないという条件も必要だ。そして、なによりも、健康であることだ。
 前半生に病弱であり、それが理由で早期退職した杜口が八十過ぎまで矍鑠として仕事ができたのは、ひとえに養生の賜物であった。彼の養生法は貝原益軒の流れにそうもので、「気」を基本とする考えであったが、気を養うためには執着しないことを大切にした。
 杜口は、各地の出来事を探訪するため、よく歩いた。八十歳になっても一日に五~七里(二〇~二八キロ)歩いて疲れなかったという。旺盛な好奇心が体を動かし歩かせ、歩くことがおのずと気を養い、結果としてそれが健康法になっていた。
 杜口が、自身そう願っていたとおり「静かに眠るが如く」に息を引き取ったのは、八十五歳、寛政七(一七九五)年二月十一日のことである。京都市上京区出水通七本松東入七番町の慈眼寺にある朽ちかけた墓石には、「辞世とはすなわち迷ひ唯死なん」という辞世否定の句が刻まれているのみで、寺にも末裔の家にもその生涯を伝えるものは何も残っていないという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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