内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

明日の発表「自然の創意」のためのイメージ・トレーニング

2019-09-01 01:15:40 | 雑感

 明日の発表の準備はほぼ終わりました。より正確に言うと、例によってパワーポイントは念入りに仕上げましたが、発表原稿は、結論部分以外、一行も書いていません。というか、最初から原稿は書かないつもりでいました。いや、もうちょっと正直に言うと、過去に三度日本語で話した内容とかなり重なるから、書かなくてもなんとかなるかな、という根拠薄弱な自信が書く気を奪ってしまったのであります。明日は、だから、プランとメモとパワーポイントを頼りにフランス語で話します。
 なんと不真面目でいい加減なことよ、と呆れられるかもしれません。それに対して、かのドクターX外科医・大門未知子みたいに、「あたし、失敗しないので」って、カッコよく言えればいいのですが、言えません。失敗するかも知れませんから。
 しかしですね、「矢でも鉄砲でも持って来い!」って開き直っているわけでもないのです。これでも発表の前には必ずイメージ・トレーニングを繰り返しているのです。それもかなり入念に。このイメージ・トレーニングは、机に向かわなくてもできます。歩きながらでも、自転車に乗りながらでも、買い物しながらでもできます。なんとプールで泳ぎながらでもできるんですよ。それどころか、寝ている間もできている……ような気がします。
 このイメージ・トレーニングがうまく行った場合(あるんですよ、過去に何度か)、どういう感じになるかというと、最初の一言でディスクールの生成のリズムにうまく乗ることができ、あとはディスクール自体が自ずと展開していくのです。言い換えると、話していけば、それがそのまま思考の展開になっているのです。話している本人は、その間、持続的な軽い興奮状態にあり、大変気持のいいものなのです。
 問題は、聴き手の反応です。こちらの高揚感が聴き手にうまく「感染する」とき、それは話していてわかります。こうなれば、こっちのものです。言い淀み・言い間違いも一種のアクセントとなり、流れに乗って結論まで突っ走ることができます。逆に、いくらこっちが調子よく話し始めても、聴き手がしらっとしていては、こちらの興奮状態も冷めてしまい、そうなると途端に言葉が出にくくなってきます。つまり、出たとこ勝負です。
 もちろん、発表は、勝ち負けではありませんし、ハッタリでもありませんし、座興でもありません。ただ、それが生きた言葉となるためには、稽古を積んだ上での即興性と自発性と創発性がその都度のパフォーマンスにおいて要求されるという点では、音楽や舞踊に通じるものがあると私は考えております。












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