内的自己対話-川の畔のささめごと

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死者たちによって生かされている人間 ― 梯久美子著『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)

2018-08-15 23:59:59 | 読游摘録

 八月になると、特に六日から一五日の間に読みたくなる作家がいる。原民喜である。
この夏は、彼の作品のいずれかではなく、先月刊行された梯久美子著『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)を一昨日から読んでいる。
 著者は、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮文庫、2008年、初版2005年、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。米・英・韓・伊・仏など、世界七カ国で翻訳出版されている。私も九月からの新学年で教材として取り上げる予定)、『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社、2016年、読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞受賞)などによって、すでにきわめて高い評価を受けているノンフィクション作家である。
 徹底した資料精査・関係者への踏み込んだインタビュー・現地での丹念な取材に裏付けられたその作品は、バランス感覚に優れ抑制された文体によって綴られ、その筆力は読んでいるものを作品世界に引き込まずにはおかない。
 「あとがき」の一節を引用しておく。

私は、本書を著すために原の生涯を追う中で、しゃにむに前に進もうとする終戦直後の社会にあって、悲しみのなかにとどまり続け、嘆きを手放さないことを自分に課し続けた原に、純粋さや美しさだけではなく、強靭さを感じるようになっていった。
 現在の世相と安易に重ねることもまた慎むべきであろうが、悲しみを十分に悲しみつくさず、嘆きを置き去りにして前に進むことが、社会にも、個人の精神にも、ある空洞を生んでしまうことに、大きな震災をへて私たちはようやく気づきはじめているように思う。
 個人の発する弱く小さな声が、意外なほど遠くまで届くこと、そしてそれこそが文学のもつ力であることを、原の作品と人生を通して教わった気がしている。評伝として不足も多く、また未熟で拙いものであるが、本書をきっかけに、ひとりでも多くの人が原民喜の作品を読む機会をもってくだされば、これにまさる喜びはない。

 この最後の段落に記された著者の願いを私も共有するものであり、特に自分が直接関わっているフランス人学生たちに対してこの願いをもっている。












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