内的自己対話-川の畔のささめごと

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祈りの言葉を書き写すとき、言葉の生誕の秘跡の communion ― 夏休み日記(26)

2015-08-27 09:45:46 | 読游摘録

 リルケの『マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記』の中に、パリで悲惨な孤独の中に生きているマルテがボードレールの小散文詩集 Le Spleen de Paris(『パリの憂愁』)の中の « À une heure du matin »(「夜の一時に」)の終りの一節を、「祈りの言葉」として、何度目かに自ら書き写そうとする場面がある。

ぼくのまえには、ぼく自身が書いておいた祈りの言葉がある。ぼくは、その言葉をみつけだした本から、その言葉を書き写したのだ。その言葉がぼくの身近にあるものとなって、ぼく自身の言葉のように、ぼくの筆から生まれてくるようにと、ぼくは書き写した。ぼくはいま、もう一度それを書いてみよう。ぼくの机のまえにひざまずいて、書いてみよう。読むよりも書いたほうが、その言葉をいっそうながく自分のものにしておけるからだし、ひとつひとつの言葉がなが続きし、余韻を残してゆっくりと消えていくからだ。(塚越敏訳『マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記』、未知谷、2003年、57頁)

 この直後に、ボードレールの「夜の一時に」の最後の段落がその作者名を示さずに引用され、さらにそれに続けて、ルターの独訳版旧約聖書「ヨブ記」第三十章から、同じく出典を示すことなしに、抜粋的に引用されている。
 『手記』執筆期間中のリルケのルー・アンドレアス・サロメ宛の書簡を読むとわかることだが、これらの箇所は、リルケ自身によってパリ滞在中夜ごとに繰り返し読まれ、ときに声に出して読まれた。そして、おそらく、リルケ自身、マルテがそうしたように、何度か自らそれらの箇所を書き写したはずである。
 上記の引用箇所からわかるように、書き写す時間そのものの経験、書き写すことによってのみ得られる言葉の時間経験がある。一つ一つの言葉をその作品の中での固有の繋がりのままに書き写すことによって、読むだけのときよりも言葉がゆっくりと生動し、それらの言葉を書き写す手と書き写すときの姿勢(「机のまえにひざまずいて」)によって、それらの言葉は、書き写す者にとって、文字通り、より身近なものとなる。
 ついには、それらの言葉が自分のうちから生まれてくる「祈りの言葉」となることを願いつつ、書き写すこと。それは、単なる一つの文学受容経験に過ぎないのではなく、作品創造の内的経験へと参入することを可能にする秘鑰という特殊な経験には限定されず、言葉の生誕の秘跡に与る « communion »(聖体拝領)とでも呼ぶべき、それもまた一つの « exercice spirituel » なのだと私は考える。
 ボードレールの「夜の一時に」の最後の段落の原文と人文書院版『ボードレール全集』第一巻に収められた福永武彦の美しい邦訳(未知谷版の塚越敏訳は福永訳をそのまま使っている)を掲げておく(但し、福永訳には、« corruptrices » を « le mensonge » にもかけて訳すという誤りがあるので、そこは訂正してある。因みに、この箇所に限って言えば、岩波文庫版の望月市恵訳も正確さに欠ける。新潮文庫版の大山定一訳が三つの訳の中では一番正確である)。

Mécontent de tous et mécontent de moi, je voudrais bien me racheter et m’enorgueillir un peu dans le silence et la solitude de la nuit. Âmes de ceux que j’ai aimés, âmes de ceux que j’ai chantés, fortifiez-moi, soutenez-moi, éloignez de moi le mensonge et les vapeurs corruptrices du monde ; et vous, Seigneur mon Dieu ! accordez-moi la grâce de produire quelques beaux vers qui me prouvent à moi-même que je ne suis pas le dernier des hommes, que je ne suis pas inférieur à ceux que je méprise.

すべての人に不満であり、また僕自身にも不満である。今や夜の静寂と孤独との中にあって、僕は自らを償い、多少の誇りを取り戻したいと願う。僕がむかし愛した人々の魂よ、僕が嘗て歌った人々の魂よ、僕を強くし、僕の弱さを支え、世の虚偽と一切の腐敗した臭気とを僕から遠ざけてほしい。そして爾、我が神よ、僕が人間のうちの最も末なる者でなく、僕の卑しむ人たちよりも尚劣った者でないことを自らに証するために、せめて数行の美しい詩句を生み出せるよう、願わくは慈悲を垂れ給え。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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