日本学科の学習目標設定は曖昧だと言わざるを得ない。そのような批判は外部からも私の耳に届いている。学部の三年間を終えて、学生たちは授業を通じていったい何を身につけたと胸を張って言うことができるだろうか。もちろん、日本語と日本文化・歴史・社会・文学等について多くのことを学んだとは言えるだろうが、そのような知識の寄せ集めだけでは、その後の彼らの職業生活の役に立つ「道具」あるいは「武器」にはならない。マスターに進学するとしても同じことだ。
彼らの本当の学習達成度は、科目毎に数値化された成績だけは測れない。現状では、かなり優秀な成績で卒業した学生であっても、さて自分はいったい三年間で何を身につけたかと自問すれば、明確な答えは見つからないだろう。それは彼らのせいではない。そうなるような一貫性がありかつ段階的な訓練プログラムをこちらが提供していないからだ。そもそもそのための方法論さえない始末だ。すべてに関して中途半端な知識を、しかも系統性もなく学ばせるカリキュラムは、いい加減終わりにすべきだ。
少なくとも学部に関しては、徹底した「実学」重視を明確に打ち出すべきだと私は思う。目標設定を漸進的かつ具体的に提示し、達成度を明確に判定し、学生たちが次のステップに進むために即使える「技術」を身に着けさせ、その技術を実践的に適用するための「道具」の使い方を訓練する。そのために現在の授業の総時間数を全部使ったとしても足りないくらいだ。あれもこれも少しずつではなく、「これ」だけは何があっても三年間でしっかり身に付けろ、とはっきり示せるプログラムを提供すべきだ。こんなこと、当たり前ではないか。
そのようなプログラムが本当に実現すれば、私はそれに対して完璧に無能・無用であり、当然の帰結として、お払い箱である。文字通り、「オワコン」である。諦念とともにそれを受け入れる準備はできている。でも、その前に定年になるだろう。
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