内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

路面電車が私の部屋を駆け抜ける ― 魔法に満ちた幼少期の日常

2013-12-24 23:04:43 | 読游摘録

 昨日の記事で紹介したジャン・カヴァイエスの姉ガブリエルの手になるカヴァイエス伝は、彼女自身の記憶に基づいた幼少期の思い出の記述から始まる。だからそこにはまだカヴァイエス自身は登場しない。何か大河ドラマの第一回目みたいに、まだ登場するには幼すぎる主人公がこれから登場する舞台の叙述から始まるような感じ。
 父親は、フランス軍で将来を嘱望される若き中佐であり、士官学校で地理学を教える教授でもあった。その子どもたちの生まれ育った場所は、だから、彼の転任に伴い移動する。1909年、父の転任により家族はトゥールーズに移る。それ以前に住んでいたのはサンメクサンという田舎町で、そこに比べれば、子供の目にはトゥールーズは大都会であった。カヴァイエス家はその街の目抜き通りの一つの近くの一軒家に居を構える。その以下、その家で初めて自分一人の部屋を持つことを許された九歳の少女の興奮を伝える一節の訳である。

私たちは、トゥールーズの「若き淑女通り」にある、中庭と庭に挟まれた一軒家に住んでいた。その家で、優しい祖母のすぐ隣りの小さな部屋を自分一人の部屋として使う特権を私は与えられた。その部屋は通りに面していて、それまでサンメクサンの静かな田舎しか知らなかった私は、都会のざわめきにすっかり心を奪われた。とりわけ、路面電車が賑やかな音をたてながら家の前を通過するとき、その賑やかな音で私の部屋が一杯に満たされるのを聞くのが好きだった。この小さな部屋が、私自身とともに、その音を喜び迎え共鳴するかのように思われたのだ。この生気に満ちた陽気な音が、私が部屋に居ない時にもちゃんと鳴り響いているのかどうかどうしても知りたくなった。今でもよく覚えているが、この不思議について長いこと散々思い巡らした後、抜き足差し足でこっそりと私の部屋の扉の前まで来て、扉に耳をつけ、私が居なくてもあの奇跡が起こっているのかどうか耳を澄ませた。

Gabrielle Ferrières, Jean Cavaillès Un philosophe dans la guerre 1903-1944, p. 32.

 この一節を読んで、感受性豊かで好奇心に満ちた愛らしい少女の姿が目に浮かぶようで、私は思わず微笑まざるを得なかった。











最新の画像もっと見る

コメントを投稿