内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

小さな宝石箱を開いてみるとき

2021-03-23 23:59:59 | 講義の余白から

 「近代日本の歴史と社会」の授業で、学生たちと柳父章の『翻訳語成立事情』を読みながら、明治期に生まれた新しい翻訳語とともに新しい価値観が日本に導入されていく過程をできるだけ生き生きと再現しようと試みている。この試みは、一方では、日本固有の近代化のプロセスを学生たちに理解させることを目的としているが、他方では、フランスの教育制度の中で価値観を形成してきた学生たちに社会思想の基本的な概念を問い直すことを求めることでもある。「社会」「個人」「自由」など、今日の私たちが自明視している基礎概念が欧米においていかに形成されてきたか、今日、グローバリゼーション、ポピュリズムの台頭、AIによる技術革命、地球規模の環境危機などとの関係において、そして現在のパンデミックの渦中で、それらの基礎概念について私たちがいかに再考を迫られているか、と彼らに問うことでもあり、それ以前に、私自身が自らに問うことでもある。
 『翻訳語成立事情』の「個人」の章に、柳父が「カセット効果」と名づけた日本語における漢字の効果の指摘がある。これは今でもとても示唆的だ。

カセット cassette とは小さな宝石箱のことで、中味が何かは分らなくても、人を魅惑し、惹きつけるものである。「社会」も「個人」も、かつてこの「カセット効果」をもつことばであっったし、程度の差こそあれ、今日の私たちにとってもそうだ、と私は考えている。

 この本が出版されたのは1982年でもう四十年近く前のことだ。私たちはもはや「社会」にも「個人」にも特別な魅力は感じないかも知れない。しかし、漢字がもつカセット効果は今もなお機能している。一方、それに取って代わるように、カタカナ言葉が氾濫するようになって久しい。漢字のような重々しさがない代わりに、プラスチックあるいは新素材でできたもっと手軽な「カセット」がやたらと出回っている。「社会」や「個人」は、その登場から百数十年を経て、カセットの中味もいくらかは充実させられてきたと言えるかも知れない。それに対して、プラスチック製のカセットは中味もまた軽い。いやそもそも中味などないのかも知れない。そして、瞬く間に消費される。あるいは賞味期限が切れて廃棄処分される。
 「社会」「個人」「近代」「存在」「自然」「権利」「自由」― これらのカセットの蓋を開けてみよう。そして、これらの言葉の価値を今の私たちの世界の問題として吟味してみよう。そういう授業を私はしたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿