内的自己対話-川の畔のささめごと

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抜書的読書法(哲学篇18)― モンテーニュ(十一) 哲学的実践としての友情(3)

2015-05-22 04:25:15 | 読游摘録

 モンテーニュは、『エセー』の中で多くの頁を「友情」というテーマに割いている。そのことからも、精神的実践としての友情を自らの人生の中でも特に重んじていたことがわかる。しかしながら、晩年になって、次のような留保を付けてもいる。« Il faut se prêter à autrui et ne se donner qu’à soi-même » (Livre III, chapitre X, « De ménager sa volonté »). 
 この表現は多様な解釈を許す。それゆえ、専門家たちの間で解釈が分かれている。そればかりか、高校の「哲学」の小論文のテーマになったり、バカロレアの試験問題に採用されたりもしている。この文の解釈が、友情論、さらには他者との関係一般についての論考の一つの端緒になりうるからであろう。
 邦訳が手元にないので、拙劣であることを自覚しながら、一応私訳を掲げておく。「他者には手を貸さねばならないが、身を捧げるのは己自身にだけにしなければならなぬ。」
 手元にある『エセー』の諸版は、この箇所に、ルキリウス宛セネカ書簡(六ニ番)の一節を踏まえているとの注を付している。上記の一文が置かれた『エセー』の文脈とセネカの参照箇所とを考慮すると、この一文は、「他者のために必要に応じて適切に自分を役立てねばならないにしても、自分を見失わせるような過度な情熱に身を委ね、他者に献身することは、これを拒否する」と解釈できるだろうと私は考える。
 ところが、グザヴィエ・パヴィの解釈はまったくそれと違っている。「自分自身によりよく奉仕するためにも、他者に対して献身的でなければならない」と解釈しているのである。上記の私見から、私はこの解釈に到底同意できない。しかも、上記の一文が見出だせる章はモンテーニュが五十代になってから書かれた文章であるにもかかわらず、パヴィは、その文を、『エセー』執筆開始の十年近く前、つまりモンテーニュの二十代終りのときにまで遡るラ・ボエシとの若き日の唯一無二の友情に引きつけて解釈し、晩年におけるモンテーニュの思想の変化を無視するという牽強付会を犯していることも指摘しておかなければならない。
 それでもなお、モンテーニュにとってのラ・ボエシとの友情の掛け替えのない大切さについてのパヴィの次の指摘には、賛意を表する。
 「モンテーニュのラ・ボエシへの友情は、とても大きくかつ深いので、いわばモンテーニュ自身を超えている」(« son amitié pour La Boétie [est] si grande et si profonde qu’en quelque sorte elle le dépasse lui-même », X. Pavie, op. cit., p. 213 )。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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