内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

グノーシス主義の危険な魅惑に魂が揺るがされるのはなぜなのか

2020-12-23 23:59:59 | 哲学

 なぜグノーシス主義に私はこんなにも興味があるのだろうかとここ数日自問している。
 先日、プレイヤード叢書に収められた Écrits gnostiques. La bibliothèque de Nag Hammadi (2007) を購入して以来、毎朝数頁読んでは溜息をついている。これらの文書は、眩暈を呼び起こさずにはおかない途方もない言語宇宙を形成しており、その危険な魅惑に満ちた言説群が構成する思考の星雲は妖しく煌きながら私を誘惑してやまない。ちょっとやそっとのことでは手が出せない畏怖すべき精神の領域なのだが、気になって仕方がない。初期キリスト教の成立過程を具に辿るためには避けては通れない途であるが、入り込んだら最後、もう帰ってこられない(って、どこに?)という恐れを感じないではいられない。それらの文書とその関連書籍、死海文書、キリスト教外典、特に『ユダの福音書』(太宰治に読んでほしかったなあ)、それに言及・糾弾しているエイレナイオスの『異端反駁』など、すべて手元にあり、仕事机から離れずにすぐに取れる場所に並べてある(あなたのご専門は何ですか? ― ありません、そんなもの)。
 おそらく、かくもグノーシス主義に引き寄せられるのは、古代ユダヤ教世界の中で複数の原始キリスト教団が相互に差異化しながら胎動しつつあった紀元前後からの二世紀末までの初期キリスト教の時代に立ち返る思想的必要性を私が今強く感じているからだと思う。それは、二十数年前にストラスブールに留学生としてやってきたときに、ライン川流域神秘主義に強く惹き付けられたこととどこかで通じている。その通底する何かを敢えて一言で言えば、「正統な」神学体系が構築される以前の共同信仰生活と密接に結びついた世界および宇宙認識と、「正統」が確立されたキリスト教世界をその内側から揺るがした神秘主義とは、精神の深層における何か共通した衝迫から生まれているのではないかという問いである。
 もちろん、それぞれに固有な歴史的文脈を無視した理念型還元主義的アプローチ、あるいは際限なき拡張的系譜学的アプローチが、問題の在処を見誤らせる危険を孕んでいることに気づいていないわけではない。だが、グノーシス主義についての学術的歴史研究それ自体に興味があるわけではない(それへの敬意を忘れているわけではない)。哲学する者のいわゆる「自己責任」において、上記のような問題意識を私なりに深めていかなければならないと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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3 コメント

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Unknown (sdp)
2020-12-24 18:39:59
マリアの福音書のグノーシスにおける位置についてお教え願えないでしょうか。
また,現代でも,南フランスの一部に残っているとか?
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はじめまして (かんざきいさお)
2021-05-03 19:39:15
東京在中の者です。63歳です。私は統一協会の信者を卒業して、現在、独自でグノーシスを学んでおり、それで同志を求めています。日本在中であなたのお知り合いにグノーシス研究者がいたら紹介していただけないでしょうか。
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追伸 (かんざきいさお)
2021-05-03 19:55:14
https://ameblo.jp/oyajikan/
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