内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「アホ」リズム(三)― 生物界に対する「人間的な、あまりにも人間的な」立場

2022-04-15 02:53:44 | 哲学

 肉食を人類の「蛮行」として批判する立場の一つとして、自己の行いの善悪を判断できる理性を与えられた人類(あるいは、邪悪なる蛇に唆されたエヴァと愚かにも彼女の言いなりになったアダムとがエデンの園の禁断の実を食したがゆえに、二人とも「目が開け」、神のごとく善悪が判断できるようになった、と思い込んだことがその始まりである人類)は、それができない生物たちの世界を「超越」した存在であり、まさにそれゆえに、生物界を保護する立場にこそあれ、その秩序を乱す権利はなく、しがって、生物界の捕食者である動物たちを殺害し、自らの食物とすることは許されないとする、精神的に「高貴」であるとは言えるかもしれないが、生物界に対してどうしようもなく「上から目線」で「人間的な、あまりにも人間的な」立場がある。
 他方、そもそも人間は他の諸生物とは「別格」の存在として神によってその姿に似せて創造されたのであり、他の諸生物は人間がそれらを支配するために「創られた」のであるから、人間はそれらを自分たちのために「善用」する権利を独占的に与えられているとする、この上なく傲慢で野蛮な考え方もある(日々愚昧への道を邁進する老生の私見によれば、[以下、オフレコでお願いしますね]神様が自らの姿に似せて人間を創造してしまったのは、人類史上決してなかったことにできない痛恨のミスである。謝ってすむことではない。もし、人間を神に似ても似つかぬ醜い姿に創っておけば、人間がこれほど傲慢になることもなかったであろうと、悔やんでも悔やみきれぬ)。
 前者が二十世紀も終わりかけた頃に欧米で生まれた「新思潮」であるのに対して、後者はナザレ人イエスが生まれる数百年前からユダヤ教世界で広く信じられていた長い伝統を誇る神話である。しかし、見比べればすぐにわかるように、人間と他の諸生物との存在身分をはっきりと分ける点において両者はよく似ている。
 現代世界において、前者が後者に取って代わろうとしているかのように見える。ということは、人類は、二千数百年をかけて、生命観・世界観において進歩したということであろうか。地球上での自らが負うべき責任についてより自覚的になり、神様のお墨付きを必要としなくなり、それだけより賢くなったということであろうか。
 だが、たとえそうだとしても(正直に言えば、老生は、あらゆる進歩史観に対して懐疑的なのだが、今、それは措く)、賢くなるのが遅すぎたのではないか。もう手遅れなのではないか。
 「賢くなるのに遅すぎることはないのである」と宣った聖賢が過去にいたであろうか。寡聞にして老生の記憶にはない。