内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

原稿用紙に一字一字丁寧に書くという作業

2021-10-18 23:59:59 | 講義の余白から

 今日は、「日本の文明と文化」という日本語のみで行われる授業の中間試験だった。問題も解答も日本語である。いわゆる小論文形式で1000字から1200字という制限を設けた。答案は、400字詰め原稿用紙を使い、縦書きで書かせた。試験問題は一週間前に告知してあり、下書きを持参するように伝えてあったので、当然全員持って来ていた。問題は大問一題だけで、授業の内容をよく理解していないと解答のしようがなく、けっして易しい問題ではなかった。答案を回収する際に一瞥を与えただけなので、まだ漠然とした印象に過ぎないが、かなりよく考えた上で書いた答案がほとんどであったと思う。
 予め準備した下書きを原稿用紙に書き写すだけでよいのだから、一時間もあれば充分だと思っていた。ところが、一時間で提出した学生は一人しかいなかった。これは、手書きでしかも原稿用紙のマスに一字一字書き入れていくことが、彼らにとってはかなりの集中力を要する容易ならざる作業であることを意味している。
 先週の授業で、原稿用紙の正しい使い方を説明したサイトを示し、それをよく読み、規則を守って書くように念を押しておいた。規則が守られていない場合、減点すると注意してある。さらに、試験開始直前に「汚い字の答案は読まない。合格点はあげない」と言明してあったから、なおのこと彼らは慎重を期して書いていた。中には、原稿用紙のマス目に顔を近づけ、まるで彫刻刀で刻みつけるかのように一字一字書いていた学生もいた。
 現在、日本の学校ではどれくらい原稿用紙が使われているのだろう。小学校では、作文はいまでも原稿用紙を使うのが原則なのだろうか。中学、高校ではどうなのだろう。大学ではもう使う機会はないのではないだろうか。
 私は普段から原稿用紙を使って字を書くことがある。これは文章を書くためではなく、書写のためである。お気に入りの古典、例えば源氏物語の一節を、ゆっくりとできるだけ丁寧に一字一字のバランスに注意しながら数行書く。どう贔屓目に見ても上手な字ではないが、それでも、マス目を一つ一つ埋めていく作業は心を落ち着かせてくれる。話す速度でもなく、キーボードを叩く速度でもなく、一つ一つの文字を注意して手で書くという、このうえなく緩やかな速度で言葉に接していると、文字の不思議に気づかされたり、書写している文字や言葉への慈しみが自ずと湧いてきたりする。
 試験中、学生たちはどんな気持ちで原稿用紙のマス目を埋めていたのだろう。拷問のように感じたかも知れない。学年末まであと三回、同じように原稿用紙に答案を書かせるつもりだが、一字一字丁寧に文字を書くという作業を通じて、学生たちには日本語の一つ一つの言葉に対するより繊細な感覚を持つようになってほしいと願っている。