内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

フランスで最近出版された武士道についての二冊の良著について

2021-10-12 23:59:59 | 読游摘録

 日本語での武士道についての研究書は膨大な数に上り、一通り目を通すことさえ素人の私にはとてもできない。現在簡単に入手できる武士道についての一般書に話を限っても、その数には驚かされる。それらの著作を通覧すると、その中には、れっきとした歴史学者による信頼のおける著作もあるが、ときに首を傾げたくなる内容の本もあり、専門の歴史学者にとっても武士道を論ずることはなかなかの難題であることがわかる。
 ところが、海外では、フランスもご多分に漏れないが、「Bushido」という言葉は、それに関心がない人たちでも、さらには日本に特に関心がない人たちでも、少なくとも一度はどこかで聞いたことがあるほどに一般によく知られている日本語の一つである。
 例えば、Le Grand Robert には次のように説明されている。

Ensemble des préceptes qui constituent la morale du bushi japonais (mot répandu en Occident par l’enseignement des arts martiaux, et généralement dévié de son sens).

 この説明を読むと、 « Bushido » は、武士の行動を律する倫理的諸規則の全体を指す言葉だが、日本の武道が西洋で広く学ばれるようになり、その結果として、もともとの意味から逸脱して使われることが多い言葉だと認識されていることがわかる。この説明だけでは、何かそのような諸規則がまとまった形で存在するような誤解も与えかねないが、説明として特に間違っているわけではない。
 他方、日本史を専門とするフランス人歴史学者たちによる、武士ならびに武士道についての優れた著作も最近出版されている。私が特に注目するのは、Oliver Ansart, Paraître et prétendre : L’imposture du bushidô dans le japon pré-moderne, Les Belles Lettres, 2020Pierre-François Souyri, Les Guerriers dans la rizière. La longue histoire des samouraïs, Flammarion, 2021 (2017) である。後者の初版は2017年に刊行されているが、前者の出版後、今年に入って第二版が出版されており、この新版では前者への言及が見られ、全体にも若干の増補が行われている。
 両著に共通しているのは、歴史的現実としての武士の生き方と武士道との関係の歴史的変化を実に的確に描き出していることだ。このニ著を読んだ後には、いわゆる武士道が歴史的に実在した武士たちの現実の生き方をそのまま反映したものではないことを否定することはもはや誰にもできないだろう。これが武士道だと提示できるような、時代を超えて一貫して守られてきた何らかの武士の行動倫理の体系などそもそも存在しない。
 とはいえ、「武士道」は近代日本において「捏造された伝統」だと切り捨てるのも行き過ぎである。このことは、特に Ansart の本によって説得的に論証されている。Souyri の本が武士の起源からその近代におけるイメージまでをたどる見通しの良い通史であるのに対して、Ansart の本は特に近世の武士道に考察の対象を絞っている。なぜ江戸時代の武士たち自身が武士道を必要としたかという問いに対して、近世日本の身分社会の中で武士が置かれていた状況を丁寧に描き出すことで明快な答えを出している。