内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

猛暑の中の布団干し・シエスタ・シモンドン ― 夏休み日記(3)

2017-07-19 18:55:21 | 雑感

 今日もよく晴れたとても暑い一日でした。朝7時にプールに着いたときに気温はすでに20度を超えており、日中の最高気温は35度に達しました。
 この好天を利して、昨日に引き続き、布団を干しました。これが、実は、一苦労なんです。というのも、日本の普通の布団と違って、サイズがセミダブルで、厚さも二十センチくらいあり、綿がぎっしり詰まっていて、めちゃくちゃ重いんです。計ったわけじゃないけれど、40キロ近くあるんじゃないかなあ。二つに折りたたむだけでも、まるで柔道の寝技みたいに全体重を掛けなければならず、それを抱えて持ち上げてベランダまで運ぶのは、私のような非力な人間にはかなり難儀で、途中でよろけて転けそうになりました。
 でも、よく晴れた空の下、湿度30%台の大気の中で数時間干したおかげで、布団は太陽の匂いをたっぷり吸い込んでとても気持ちよくなりましたから、苦労の甲斐があったというものです。
 布団を干している間、畳の上で小一時間昼寝をしました。やっぱり昼寝は畳の上に限りますよ。最近では日本でさえ畳の間のない住居が多いそうですが、もったいない話だなあと私は思います。
 昼寝のおかげですっきりした頭でシモンドンのテキストを読み続けました。なんか相性がいいんですかね、シモンドンのテキストはよく頭に入って来ます。テキストを前にすると、自ずと集中できるし、読むのが楽しい。私は普段読むのがめちゃくちゃ遅いのですが、他のテキストを読むときと比べれば、シモンドンのテキストは相対的に速く読めます。まあ、といっても、蝸牛より亀の方が速いというくらいの違いですが。
 今日届いた Pierre Kerszberg, L’ombre de la nature, Cerf, 2009 には、シモンドンに言及している箇所が一つあります。そこでの主題は、自然の中に再び機械的なものを自然そのものに内在的な契機として統合する現代哲学の流れであり、その一例としてシモンドンが出てきます。このテーマは、三木清の『構想力の論理』のそれとも重なるところであり、集中講義で扱うべき重要事項の一つです。