内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「同時代思想」試験問題

2014-01-27 01:38:00 | 講義の余白から

 今日も昨日の続きで21日の研究集会のことを記事にするつもりでいたのだが、24日金曜日にあったイナルコの「同時代思想」の試験答案の採点が思うように進んでおらず、この記事を書いた後すぐにまた採点作業に戻らなくてはならないので、その試験問題をここに和訳して公開することで記事に代える。この試験の採点結果については後日記事にする。それに値する力作答案がいくつかあると考えるからだ。

I.次の十のテーマのうちから一つ選びなさい。
1. 主体・客体(主観・対象)関係
2. 世界の知覚と現出
3. 人間の身体の創造性
4. 個人の国家に対する関係
5. 言語と世界の分節化
6. 思想史学の方法論
7. 東西思想比較
8. 日本の近代化と日本の伝統思想
9. 想像力と科学技術
10. 倫理と論理

II.選んだテーマについて、よく限定された一つの問いを自分で立てなさい。

III.立てた問いに関係があると思われるテキストを三つ、予め配布してあった十のテキストの中から選び、訳しなさい。

IV.立てた問いに訳した三つのテキストを参照しながら答えなさい。

 試験の一月以上前に学生たちに送信しておいた十のテキストは以下の通り。

現在の体は作られたものである。[…] 此の体が作られたものでありながら作っていく。自分の体を超えて子孫というものを生んでいく。つまり作られたものが作るものである。それが創造の世界である。我々はそういう世界の一つのエレメントである。我々が動物の世界、生物の世界を考えるにも、歴史的世界を根柢として其処から考えてゆかねばならない。其の歴史的世界は創造的なるもので、人間は其の歴史的世界の創造的要素である。
西田幾多郎「歴史的身体」(1937)、『西田幾多郎全集』第十巻、363-364頁。

民族は、たとい階級の廃棄が行われても、より原始的なる生命の種化の発見として、廃棄せられるものではない。種は種と対すること不変の本質である。しかも個と個との対立を統制する共通者としての種に対して、さらに種と種との対立を媒介すべき類は、それ自身種の如くに直接存在するものではないのであるから、種を類に由って統制すること、種に由って個を統制する如くすることは不可能なのである。
田辺元「社会存在の論理」(1934)、『種の論理 田辺元哲学選Ⅰ』岩波文庫、176-177頁。

あることもないこともできるというだけではまだ単に可能という性質でありまして、偶然ということの成立に必要なものではありますが、それだけではまだ足りないのであります。偶然が成立するためには可能が可能のままで実現される、必然に移らないで可能のままで実現される、といった風のことがなくてはならないのであります。
九鬼周造「偶然と運命」(1937)、『九鬼周造随筆集』岩波文庫、73頁。

人間は単に「人の間」であるのみならず、自、他、世人であるところの人の間なのである。が、かく考えた時我々に明らかになることは、人が自であり他であるのはすでに人の間の関係にもとづいているということである。人間関係が限定せられることによって自が生じ他が生ずる。従って「人」が他でありまた自であるということは、それが「人間」の限定であるということにほかならない。
和辻哲郎『人間の学としての倫理学』(1934)、岩波文庫、22頁。

生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の条件である。けれどもこの 条件は、恰も一つの波、一つの泡沫でさえもが、海というものを離れて考えられないように、それなしには人間が考えられぬものである。人生は泡沫の如しという思想は、その泡沫の条件としての波、そして海を考えない場合、間違っている。しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるように、人間もその条件であるところの虚無と一つのものである。生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。
三木清「人間の条件について」(1939)、『人生論ノート』新潮文庫、58頁。

場面は純客体的世界でもなく、又純主体的な志向作用でもなく、いわば主客の融合した世界である。かくして我々は、常に何等かの場面に於いて生きているということが出来るのである。例えば、車馬の往来の劇しい道路を歩いている時は、我々はこれらの客観的世界と、それに対する或る緊張と興奮との融合した世界即ちこの様な場面の中に我々は歩行して居るのである。従って我々の言語的表現行為は、常に何等かの場面に於いて行為されるものと考えなくてはならない。
時枝誠記『国語学原論(上)』(1940)、岩波文庫、60-61頁。

思想史学は、対象がどのような思想を形成したかを究明するだけではなく、どのような思想を欠落させていたかをも究明して、はじめて対象を批判的に考察したことになるのである。史家は対象を追いかけるにとどまらず、史家の主体性に立脚して対象の思想を、思想的に考察するものであらねばならぬ。思想史家はその意味で、自己自らの思想をもつ思想家たることを必須の条件とするのである。
家永三郎『田辺元の思想史的研究 — 戦争と哲学者 —』(1974)、『家永三郎集』第七巻、4頁。

日本の「近代」のユニークな性格を構造的にとらえる努力— 思想の領域でいうと、いろいろな「思想」が歴史的に構造化されないようなそういう「構造」の把握ということになるが — がもっと押しすすめられないかぎり、近代化した、いや前(ぜん)近代だといった二者択一的規定がかわるがわる「反動」をよびおこすだけになってしまう。
丸山眞男「日本の思想」(1957)、『日本の思想』(1961)、岩波新書、6頁。

「気づく」とは、存在にたいする新しい意味づけの生起(せいき)である。一瞬の光に照らされて、今まで意識されていなかった存在の一側面が開顕し、それに対応する主体の側に詩が生れる。「気づき」の対象的契機がいかに微細、些細なものであっても、心にみ入る深い詩的感動につながることがあるのだ。
井筒俊彦「「気づく」― 詩と哲学の起点」(1987)、『読むと書く』慶応義塾大学出版会、434頁。

事実は、世界其のものが、既に感情的なのである。世界が感情的であって、世界そのものが喜ばしい世界であったり、悲しむべき世界であったりするのである。自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景に過ぎない。
大森荘蔵「自分と出会う」(1996)、『大森荘蔵セレクション』、453-454頁。