内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

古いテキストを新しく読む ― 井筒俊彦最後の著作について

2014-01-05 23:44:10 | 読游摘録

 井筒俊彦最後の著作は、その逝去の二月後1993年3月に刊行された。メイン・タイトルは『意識の形而上学』であるが、それは「東洋哲学覚書」と冠され、「『大乗起信論』の哲学」を副題とする。このタイトルに見られる三層構造が、井筒俊彦の全体的企図とその具体的出発点をよく示している。中公文庫版で本文わずか150頁足らずのこの見かけは慎ましい小著は、「東洋哲学の共時論的構造化」を共通テーマとして、唯識哲学、華厳哲学、天台哲学と続き、さらにイスラム哲学、プラトニズム、老荘思想、儒教、真言哲学と展開されていくはずの壮大な計画の最初の礎石なのである。
 今朝届いたばかりなので、まだ拾い読みしただけでの印象に過ぎないが、同書のちょうど十年前に刊行された『意識と本質』と比べて、その表現の平明・簡潔さにおいて際立っている。井筒俊彦が至ついたであろう澄明な境地を反映してのことであろうか。もちろんそれは内容が一読で理解できるような平易なものであるということを意味しない。そのまっとうな理解を望む者に充分な知識的準備と読解に際しての高い精神的集中力を要求するだろう。それはそれとして、世界的に最高度の水準に達した碩学がその最晩年にあたらに自らに課した目標は、次のように簡明で決然としていて、かつ謙虚であった。

 東洋哲学全体に通底する共時論的構造の把握 ― それが現代に生きる我々にとって、どんな意味をもつものであるか、ということについては、私は過去二十年に亙って、機会あるごとに繰り返してきたので、ここでは多くを語らない。要は、古いテキストを新しく読むということだ。「読む」、新しく読む、読みなおす。古いテキストを古いテキストとしてではなく……。
 貴重な文化的遺産として我々に伝えられてきた伝統的思想テキストを、いたずらに過去のものとして神棚の上にかざったままにしておかなないで、積極的にそれを現代的視座から、全く新しく読みなおすこと。切実な現代思想の要請に応じつつ、古典的テキストの示唆する哲学的思惟の可能性を、創造的、かつ未来志向的、に読み解き展開させていくこと。
 どの程度の成果が期待できるか、自分にはわからないが、とにかく私は、およそこのような態度で東洋哲学の伝統に臨みたいと考えている。『大乗起信論』をテーマとするこの小論は、その試みの、ささやかな一歩にすぎない(『意識の形而上学』13頁)。