南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

旧盆の1日

2006-08-13 22:23:59 | Weblog

私の住む町は8月盆、すなわち旧盆だ。
田舎だから200軒あまりの小さな町内。
初盆のお宅にはすべてお線香を上げに行く。
今年は6軒、毎年増えているような感じだ。
子供の数は少なくなる一方だから、このまま進むと需要と供給バランス(?)大変だ。
でも巷でいわれるような近所関係が希薄になる心配はない。

暑い昼間はテレビ三昧。
8月15日を目前にして「戦後61年」と「靖国神社問題」が花盛りだった。
そんな番組の中で耳目に触れたのは、ゲスト出演者「日野原重明」氏の戦争と平和に対する考え方。
ガンジーが唱えた「非暴力主義」と似通った考え方である。

日野原氏に質問がされた。
「平和主義の考えはよくわかる。
しかし日米同盟で米国の傘の下で守られている現実をどう考えるのか。
国防は他人の手で行われ、自分たちだけは平和主義ということにはならないのでは?」・・・まあ、こんな意味の質問だ。
日野原氏は即座に答える。
「許すということは自らが血を流す決意を持つことだ。
北風にさらされる可哀相な人にマントを与えるということは、自分が寒い思いをするということ。
マントの裏地には自らが流した血が染み込んでいる。」

実はガンジーも3発の銃弾を打ち込まれ死んでいった。
最後まで非暴力を貫いたガンジーは暴力の犠牲になり、暴力によって殺された。
なんという皮肉か。
しかし、ガンジーの最後の言葉は「その青年を許せ。」だったともいう。
『暴力はさらなる暴力を生む。
非暴力は相手の良心を目覚めさせることができる。』
ガンジーの唱えた「非暴力」の真の力はとてつもなく大きく偉大である。

日野原氏もガンジーも言いたかったことは「暴力」に優る力を持ちなさい。
それは「博愛」の力ですよ・・・ということではないでしょうか。
国際政治の舞台はそんな甘いものではないと思います。
今こうしている瞬間も空爆が行われ、報復のロケット弾が飛び交っています。
だからこそガンジーらが唱えた「非暴力主義」の真の意味を世界中に発信することが大切だと思います。
おそらくそれが出来るのは世界で唯一の被爆国であり、平和憲法をもつ日本しかないのでは?