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南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

ただただ残っています

2012-12-23 19:49:23 | Weblog
怒りの感情は消すこともできます。

喜びや悲しみの感情もなんとか制御できます。

おおよそそんな体験は済ませてきましたが、今日の体験はショックを通り越して手紙に貼ってある切手のような存在になっています。

寛いでいると近所の人たちがざわつきながら家まで来ました。
「○○さんが風呂場で倒れているが、全部鍵が掛かっていて中に入れない」そんな話でした。

慌てた私たち、女房が警察に、私が救急車を呼ぶこととしました。
私は携帯電話で119番しましたが、現場を見ていないので向かいながら会話します。
そして…この目で確認させられました。

やはりきついですね。
87歳の一人暮らし、みなさん心配してくれて、毎日近所の誰かしらかが声をかけていたご老人です。
淋しいですね、悲しいですね。
でも私の中には、淋しさや悲しさを通り越した…あの…が、ただただ残ってしまいました。
きっとこれは時が解決してくれるんでしょうね。




矢沢永吉SP

2012-12-22 18:30:28 | Weblog
テレビのSWを入れたら、NHKから矢沢永吉が飛び出てきました。
有働由美子アナとの掛け合いも面白くて、ついつい番組に惹き込まれてしまいました。
63歳とはとても思えないようなバイタリティに、こちらも元気づけられます。

今日は掛川にある「ねむのき美術館」でも、障がいを抱える子供たちの描いた素晴らしい絵に感動しました。
永吉に覚えた感動とはだいぶ異なる感動ですが、どのような感動でも心にカンフル剤を打たれるような気がします。

今日もいい一日でした。
ありがとう。また明日もいい日でありますように。

まずは足から

2012-12-20 12:45:53 | Weblog

歩くことはすべての運動の基本です。
歩かなくなると下半身が衰えますから、ますます歩けなくなります。
下半身が衰えるということはポンプの役目が衰えるわけですから、血流が悪くなって心臓へ戻ってくる血液が少なくなります。
そうなると全身の血液循環に悪影響を及ぼして、身体全体が衰えてきます。

身体だけではなくて歩くことで脳に適度な揺れが生じます。
脳の揺れは脳の活性化につながりますので、散歩中におもいがけないような発想が生まれることがあります。
今日も“1万歩クラブ”の会員拡大が図れました。

みなさんと一緒に私もがんばります。

帰ってきた日常

2012-12-19 22:20:53 | Weblog
この3週間ほどは非日常の生活が続きました。
早朝の散歩もできず、血圧は異常上昇し、どうかすると不眠症状まで…。

しかし現金なもので身体は正直です。
あれだけの高血圧が嘘のように収まり、朝までぐっすり眠れます。
今日は朝から晩までぎっちりの過密スケジュールでしたが、おかげさまでいくつかの課題に着手できました。

心身一如、やはり心と体は一体のものですね。
あらためて実感しています。
明日も日常の一日でありますように、そしていい一日でありますように。

ささやかな“公約”

2012-12-08 11:30:15 | Weblog
若かりし頃、私は大変な愛煙家でした。
特に選挙が始まったりすると、イライラするためか1日中煙草を離せませんでした。
3箱以上が日常になりはじめてから医者に厳しく注意されて、何回も禁煙トライしますが、何回も挫折します。
そこで回りの人たちを巻き込んで、労組機関紙「きずな」で“禁煙クラブ”会員を公募。
応募者の名前は、その「きずな」で公開されるという“ゲーム”を考え出します。
「きずな」は毎日発行していますので、連日参加者が増えていきますが、当然落伍者も発生します。
落伍者の名前も公表しますから、みなさん必死になって禁煙を続けました。
おかげさまで私も禁煙をすることができました。

今年の4月17日に新たなクラブが誕生しました。
酔った勢いでつくった「1万歩クラブ」です。
8名からスタートしたクラブですが、10月には4名が新規加入し、先月29日にも5名が加わりました。
新規メンバーを紹介します。

“場”をつくる“気”

2012-12-07 20:53:40 | Weblog
単組委員長時代のことですが、時間ができるといろいろな現場を一気に回ることがありました。
何回かすると現場の“空気”が比較の中でわかるようになりました。
活気ある職場では新鮮な空気が吸えます。
問題ある職場では重苦しい空気が漂います。
“場”をつくるのは“気”の力ですね。
危ういような空気を感じた職場では、間もなくすると労災が起きたこともありました。

今日は総選挙の最前線で頑張っている選挙事務所を回ってみました。
感ずるところは大きいですね。
やはり“気”の力は大ですし、それはマネージャーの“気”でもあるような“気”もします。
最後の最後はやはり“勝とう”という“気”の力ですね。
最後の最後まで“気”を抜かずに頑張って行きましょう‼

底冷えする防災訓練

2012-12-02 14:29:37 | Weblog
9時のサイレン、9時半に1次避難所集合し、班ごとの点呼。
確認作業終了後、15分ほど歩いて地域拠点となる小学校へ。

我が班の班長さんは退院直後のお年寄りですから、私が班長代行で点呼をとりました。
12世帯34人の小さな班ですが、町内会きっての老齢班、それでも12人が参加してくれました。
避難訓練に参加した12人は全員60歳以上で、しかも二人を除き75歳以上です。
そのうち小学校まで行けたのは7人だけ、あとはとても歩けません。

10時から小学校のグランドで防災についての講話や消火訓練も行われましたが、底冷えのする寒さにお年寄りの身体が心配になってきます。
11時までの予定でしたが、早々に切り上げて終了、またヨロヨロ・ゾロゾロと家に戻ります。
行きも帰りもその列に加わって行動しましたが、うっかりすると前の人の靴を踏んでしまいそうになります。
これが高齢化の現実です。

しかも12世帯のうち2世帯は参加できませんでした。
1軒のおたくは病気がちな独居老人世帯で、もう1軒は90歳になる母と障がいをもつ60代の世帯です。
いざという時には元気な若手(私?)たちが気を配る必要があります。
もう我が町内は60代が高齢者を支える社会に確実に突入しています。

甲斐路のお楽しみ

2012-11-25 17:20:22 | Weblog
今年の後半はなぜか山梨行きが重なります。
静岡駅から身延線“特急ふじかわ号”に乗って3時間の旅を今日も楽しみました。

車中は紅葉と読書で楽しみ、甲府市内では名物のB級グルメ「鳥もつ煮料理」です。
駅構内の観光案内所で「この近くで一番お勧めのお店を教えてください」とお願いして紹介されたのは「奥藤本店」でした。

甲府鳥もつ煮発祥の店とのことでした。
ちょっと甘煮の鳥もつ煮でしたが、なかなかの歯ごたえです。
鳥もつ煮も美味かったが、蕎麦もホンモノの歯ざわり、満足の昼食でした。

生きる意味

2012-11-24 20:07:48 | Weblog
聖路加国際病院 は、100歳を超えてなおかつ現役の日野原重明先生で有名ですが、ここの小児科にも素晴らしい医師がおります。
今年のキネマ旬報ドキュメンタリー部門第1位に輝いた「大丈夫。小児科医・細谷亮太のコトバ」の主人公細谷亮太先生です。

細谷先生が市民公開講演会に講師として招かれていることを知り、一月ほど前から応募し、楽しみにしておりました。
演題は「生まれてくること、死んでゆくこと」です。
細谷先生の親父さんも山形の田舎で休みなく往診を続けたお医者さんで、その背中を見て育ったとのこと。
今は親父さんは亡くなりましたが、生きていたときよりもその親父さんの心が分かってきたと話します。

ある患者さんの延命治療についての記録をビデオで見せてくれました。
小さなときに難病を患って、言葉のわからない外国で心臓移植手術を受けます。
しかし余病が発生し背中の骨が湾曲し、肺を圧迫するため開胸手術をし、人工呼吸器を付けます。
18歳の時に腎臓機能が低下、人工透析をしなければならなくなりますが、彼女はそれを拒否して家族とともに生活することを選択しました。
思い出作りのために、親子3人で最後の家族旅行にでかけ、幸せいっぱいの笑顔をそこにつくりました。

その笑顔を見て、父親はなんとしても人工透析を受けて延命を図れるようにと娘さんを説得しますが、彼女はどうしてもそれを受け入れませんでした。
そして最後を迎えるのですが、彼女が最後に残したメールも、母親に向けた小さな仕草にも回りを思いやる気持ちであふれていました。

なんとかして少しでも長生きしてもらいたいと願う父親と、もう充分頑張ったからという娘の気持ちが交錯する場面では、もう抑えきれない…。


「人は死んだら終わりではない。誰かがその子と過ごした時間を覚えている限り、その子は死なないんだ・・・」

本物の人間が語るホンモノの講演会は、ほんとうに素晴らしいですね。

もう一人の自分

2012-11-09 16:08:02 | Weblog
なかなか思うようにできませんが、興奮している時や逆に落ち込んだ時に、“もう一人の自分”を意識させます。
会話も加熱しすぎて思わぬ方向へ進み、相手と口喧嘩となり、人間関係を壊すことが度々ありました。
若気の至りと笑って済ませられるような年代ならいいのですが、この立場やこの歳でそれはいただけません。
かといって言いたいことを“きちん”と伝えないと、物事は前へ進みません。
そんなときに折よく“もう一人の自分”が出てきてくれると、第3者の目で冷静に会話を見つめてくれます。
大切なことは(“きちん”と伝えることなんだよ)と私自身に教えてくれます。

私ごとや仕事上でも、いろいろとやりたいことが出てきます。
精一杯がんばっていても所詮一人の力には限界もありますし相手もいることですから、上手くいかなくて落ち込んだり悩んだりもします。
そんな時に“もう一人の自分”が出てきてくれると、うーんと遠くへ、うーんと高くへ移動させます。
極端な話、137億年前のビッグバンまでも遡れます。
そうすると(たかだか俺の一生せいぜい生きても100年だ…)と腹をくくって事に臨めます。

逆にあまりの絶望感に拉がれそうなときは、まだ見ぬ先を憂うよりも、(今、この時)を見つめている“もう一人の自分”に登場してもらいます。
うーんと近くへ寄ってもらい、ひたすら自分の幸せだけを考えさせます。
それがあの「ありがとう、感謝します」の世界です。

そうはいってもそんなに都合よく“もう一人の自分”が現れてはくれません。
ひたすら精進の世界ですね。