城郭探訪

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アフター関ヶ原合戦 彦根平田山城・徳川家康陣城跡

2015年11月30日 | 平城

 

アフター関ヶ原合戦 彦根平田山城・徳川家康陣城跡

 

平田山城現地城郭見学会 

平田山城見学会 11/29と11/30 同じ内容
午前10時 彦根市平田町信号雨壺山「平田山」 
 
資料に登場する関連人物
 
  1 観音寺 六角定頼
    蒲生郡野寺城主 吉田安芸守 日置流弓術家
 
  2 長浜市高月町出身
    江北一の剛弓、勇将磯野為員(宮澤平八朗)
 
  3 徳川家康と井伊直政の佐和山城攻め本陣
当時1570年の丹羽長秀の鳥居本百々屋敷の城郭図も今回の資料付けます。同年元亀元年の百々屋敷城の私の図面と平田山城の図面を比較しましよう。あっと思うような何か発見があれば水野下野守なる家康の叔父が織田信長に何故殺害されたのか?まあ武田との内通かもしれませんが?
水野下野守が佐和山城を八か月間包囲していた時の城が私が今回計測した平田山城図ならばショツキングな事になります。そりや八か月も包囲していたら、城としてかなり工事が進み、今回の私の図面みたい塹壕「武者隠し」枡形跡などもあり魅力ある城を再認識する契機となるかと、元彦根住民としては幸いかと!

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