信長公記
巻十二
天正七年
この年信長公は近江国安土山で越年して新年を迎えたが、歴々の将領たちは摂津伊丹表に散らばる付城群に在番していたため、新年の出仕はなかった。
そのような中の正月5日、九鬼嘉隆が堺湊より安土へ上り来て、信長公へ年頭の御礼をおこなった。すると信長公は「今のうちに在所へ帰り、妻子の顔でも見たのちに上国するが良い」とかたじけなくも九鬼へ暇を下された。九鬼は信長公のはからいに感謝しつつ伊勢へ下っていった。
正月8日、信長公は小姓衆・馬廻・弓衆に命じ、馬淵①から切石三百五十余を運び上げさせた。
そして翌日、信長公はかれらに鷹野で得た雁や鶴といった獲物を分け与えた。いずれの者も、これらをかたじけなく頂戴したものであった。
2月18日になり、信長公は上洛して二条御新造へ座を移した。
京での信長公は、21日に東山で鷹を放ったのち28日にも同じく東山で鷹野を行い、さらに3月2日にも賀茂山で鷹を使うといった様子であった。
そのような日々を過ごすうち、3月4日になって中将信忠殿・織田信雄・織田信包・織田信孝が上洛してきた。
①現滋賀県近江八幡市内
・近江八幡市島町 奥島山国有林(宮ヶ浜)
奥島山国有林は琵琶湖に接した丘陵地で、かつては琵琶湖最大の島(奥津島)でした。
稜線からは沖島を眼下に治め、比叡・比良・伊吹の山並みが一望でき、森の緑と湖水の織り成す美しい景観が訪れる人々を魅了します。
また、林内には樹齢100年を超えるヒノキや200年以上といわれる大杉があり、
万葉の時代には天智天皇が遊猟の際に行幸し、
戦国の世では織田信長が鷹狩りに訪れたと伝えられる、豊かな自然と歴史のある山域です。