城郭探訪

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探訪 【柏原城 近江国】  2012.7.15

2012年07月15日 | 平城

 柏原城は京極家の菩提寺である清滝寺徳源院を中心とした一帯で、徳源院の山門の横に、柏原城の石碑がひっそりと建っている。

 徳源院背後の清滝山山頂には、柏原城の詰の城の遺構が残る。清滝山の山頂からは、東山道(中山道)と北国脇往還道が手を伸ばせば届くような位置に見え、京極氏がこの柏原に居城を構えた意図がハッキリと分かる。

弘安9年(1286)、京極氏の初代氏信が建立。京極家歴代の菩提寺である天台宗の寺。                                             京極氏は、鎌倉中期に近江で勢力を振るっていた近江源氏佐々木氏から分かれ、家名は氏信の宿所が京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)にあったことによります。

徳源院の土塀

 

二代目道誉桜(京極家5代目当主・京極道誉が植えたと伝わる しだれ桜)代目道誉桜

本堂裏に、清滝山の自然林を借景に回遊式の庭園があり、春には道誉桜と称されるしだれ桜が趣きを添えます。もにじや堂前に群生する萩が咲きこぼれる秋の風情も格別とか。小堀遠州庭園。

本堂・

京極高豊の寄進した三重塔

<京極家墓所>

国の史跡に指定されている墓域には一族の墓が存在し、閑静なただずまいを見せる境内に、本堂、位牌殿、三重塔などを有します。なかでも朱塗りの三重塔は、寛文12年(1672)に讃岐丸亀藩主であった京極高豊が建てたもので、県の指定文化財になっています。
 寺地は、もと氏信の柏原館があったところで、<京極家墓所>
 京極家の菩提寺・徳源院(とくげんいん)(清滝寺(きよたきでら))の本堂裏手の山麓にあります。上段の始祖氏信(うじのぶ)を筆頭に、南北朝時代に活躍した道誉(どうよ)を含む、歴代当主の墓碑宝篋印塔(ほうきょういんとう)が18基。下段には、それ以降の当主や分家やらの宝篋印塔14基と、淀殿の妹・はつをめとった京極高次(たかつぐ)の墓石などが、整然と並んでいます。
 京極家は、浅井氏の台頭とともに一時期衰え、寺も荒れましたが、寛文12年(1672)高豊(たかとよ)が境内に三重塔(県の指定文化財)を建てて以来、勢力を取り戻しました。この時、付近に散在していた墓を一カ所に集めたといいます。
 塔の大きさは様々で、京極家の栄枯盛衰を表しています。現在、国の史跡および県の史跡に指定されています。

京極19代、高次の墓は別格(石廟内部に宝篋印塔がある)

片隅に北畠具行の墓が???                                                        元弘2年(1332)南朝方の北畠具行が捕らえられ、京極導誉によって鎌倉へ送られる途中、柏原(現山東町)で殺害されたが、このとき当寺に約1ヵ月間留め置かれたと伝えられている。


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