お城のデータ
甲賀郡甲賀町高嶺小字杉ノ後) map:http://yahoo.jp/IBHxBd
区 分:平山城
築城期:室町期・豊織期
築城者:高嶺氏(鷹峰氏)
遺 構:曲輪 ・土塁・空堀
標 高:250m 比高差:20m
目標地:福明寺・高嶺公民館
駐車場:福明寺下空地駐車場
訪城日:2014.9.17
お城の概要
高嶺山城は、集落南方にある丘陵の中で最も高い権六山(標高268m)に築かれている。集落からは離れており、東西の谷を隔て南に位置する伊賀見城や高嶺南城とともに、国境の防備を意図して築城されたと考えられている。
山頂部を削り込み方形に造成された主郭は30m×25mで、削り残した南西面を除く三方は土塁に加工されてている。南東面土塁の南端部は、南に突出し巾が広くなっており、櫓台または見張り台のように思われる。また、主郭から四方に派生する五本の尾根には、堀切が設けられている。南東の隅から南東と南西に伸びる尾根は二重の堀切になっている。
なお、虎口や城道の痕跡は確認できない。
歴 史
・・・・高嶺山城・・・・
甲賀郡志の高峰城趾の項に、「大字高嶺の東方字権六山に在り。甲賀武士高峰蔵人子孫世々の居城とされ、天正年間(1573~92)に同氏の衰亡とともに廃城となりし。」と記されている。この「高峰城」が「高嶺山城」のことである。
全体として高嶺地区の城郭遺構は手入れがなされないが、此処は主曲郭や土塁は明確である。
福明寺
南端のふれあい公園から、登城した。
主郭へは、獣害柵をゴルフ場へ
しばし、ゴルフを観戦、主郭へ西緩い斜面を直登した
主郭は30m×25mで、削り残した南西面を除く三方は土塁に加工されてている。
急勾配を野獣柵に直下した
城址は、ゴルフ場整備に重機で開削が激しいが幸い【主郭や土塁は残存している】
西尾根の堀切池
下屋敷?家臣屋敷?下屋敷?家臣屋敷?
駐車した福明寺
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、甲賀の城、
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