城郭探訪

yamaziro

・西福寺

2013年09月11日 | ブロガーによる歴史探訪情報発信

蓮如上人の像(西福寺)

 7人の落武者の一人:茶谷重右衛門の末裔が蓮如(本願寺第8代上人)に帰依し庵を建てたことに始まります。

寺宝には蓮如上人直筆の虎斑の名号(とらふのみょうごう)と正信偈(しょうしんげ)が残されています。

虎斑の名号/正信偈

 茶谷重右衛門の妻が産後間もなく死亡したことで、子供いとおしさに幽霊となって現れるようになった。茶谷重右衛門(法名:釈西了)がこのことを不憫に思い、氏神に祈ったところ、夢の中で、「明日蓮如上人が来られるので、お願いするように」とのお告げがあり、翌日偶然にも越前吉崎御坊から堅田本福寺に向かう途中に遭難し、沖島に立ち寄った蓮如上人にお告げのことを話したところ、上人は幽霊を教化するため六字の名号(南無阿弥陀仏)を与えられた。これらはムシロの上で書かれたため、南無阿弥陀仏の字が虎斑のような濃淡が出ているので、俗に「虎斑の名号」と呼ばれています。正信偈(四句の御文)は蓮如上人が島を去る際にお別れの形見として残されたものです。

掛嶌山 西福寺
―蓮如上人御旧跡―
近江八幡市沖島町252
TEL 0748-33-9522

<西福寺の歴史>
西福寺は、本願寺第八代御門主蓮如上人に帰依した源氏の落武者の末裔、茶谷・重右衛門が、得度を許され釈西了(約540年前)の法名を頂き島の北東に位置する掛嶌に庵を建てたのが始めでその後、天保13年(1843年)に現在地に寺基を定め堂を建立され現在に至っている。

◆西福寺に現存する宝物
○文明の始め、蓮如上人が、越前吉崎御望から、堅田の本福寺へ向かわれる折り、南風に見舞われやむなく沖島の掛嶌に難を逃れる。
○その時、茶谷・重右衛門という漁師の女房を再度されんがために、新筵のうえで染筆された御名号
  ※南無阿弥陀仏で、特に幽霊再度の虎斑の御名号という。
○お別れの御形見の品として蓮如上人より頂いた正信偈四区の御文 
  ※能発一念喜愛心 不断煩悩涅槃 凡聖逆傍再廻入 如衆水入海一味
○幽霊が極楽より持ち来たと伝えられる表装の絹布
  ※銀金地織
西福寺の宝物として現在もお名号堂に安置されている。

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◆西福寺には、道場から寺院への移行を示す証拠が残っている。
☆道場の本尊は、「虎斑の名号」と称し実如上人の頃、阿弥陀如来が安置され寺院としての形態が始まる。
☆当時の絵像本尊は、実如上人より授けられ裏書には、「江州西福寺奥島北道場物也」とあり、後に御木像安置により真宗寺院となった。

 


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