城郭探訪

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八木浜城(中村氏屋敷) 近江国(びわ町)

2015年04月28日 | 居館

 

お城のデータ

所在地 : 長浜市八木浜頂(旧東浅井郡びわ町八木浜)     map:http://yahoo.jp/3m8zXt

別  名 : 中村氏屋敷・市右衛門・代官屋敷

区 分 : 平城(居舘) 

築城年 :織豊期期

築城者:中村市右衛門

城 主:中村氏

遺 構:江戸期の屋敷跡(石垣・門・館・堀)重厚な茅葺の母屋・水路になっている堀・船着場の石段

目標地:八木浜漁港・八木浜会館

訪城日:2015.4.25

駐車場:八木浜会館

江戸期の建物(重要文化財)と石垣が現存

主屋中庭

お城の概要

北側に堀川とそれに沿っての石積み、中央に船着場の石段、西側に石積みの土居と門、東側に堀と石積みが残る。南側の屋敷境の遺構は、認められない。
主屋の南に展開する4反余りの空地は、「馬場」と呼ばれ(現在は新築の末裔宅)ている。また、北西隅の小屋は、「馬小屋」と伝えられている。
葦葺きの主屋は風格があり、旧家。

船着き場

歴 史

「淡海小間攫」には、「八木浜村、当村ニ中村市右衛門ト云人アリ、元祖ハ幸野市右衛門ト云シ由、志津ケ嶽一戦ノ時、秀吉ヨリ感状玉ハリシト云、後孫帯刀ト云人有ト云」と記されている。

八木浜の土豪中村氏の屋敷跡である。中村氏屋敷との別名がある事や中村氏が豊臣秀吉からの書状を保有されていることなどからして、長浜城主時代の豊臣秀吉からなんらかの代官に任じられていた。

家伝によれば伊予河野氏の出で、初め越智姓を名のっていた。当地に来てからは、浅井氏に仕えたと云われ、

江戸時代には井伊家(彦根藩)の代官をしていた。現在も地元では、当家を屋号で「市右衛門」と呼ぶ。他に「代官屋敷」と称するのは、この歴史的背景によるとされる。

駐車場:八木浜会館

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、Wikipedia

         本日の訪問、ありがとうございました!!感謝!!


安養寺城 近江国「びわ町」

2015年04月28日 | 平城

 

お城のデータ

所在地:長浜市安養寺(旧東浅井郡びわ町安養寺)

      maphttp://yahoo.jp/ZTy1-Yこの地図のURL

別名:安養寺館

区 分:平城

築城期:室町期

築城者:安養寺氏久

城 主:安養寺氏久・安養寺八郎右衛門光頼・安養寺河内守勝光・安養寺三郎左衛門・氏久・氏秀・氏種(経世)

遺 構:曲輪・土塁・

現 状:神社

城 域:54m×54m

目標地:大安養神社・応徳寺

訪城日:2015.4.25

駐車場:安養寺農業用拠点施設駐車場

神社の本殿裏手にわりと明瞭な空堀が残り、西側にも堀跡が判ります。

お城の概要

 

  安養寺城は、現在の大安養神社の敷地一帯に築かれていた。 城の縄張りは推測の域を出ないが、主郭部分は約30間四方の方形で、周囲には土塁と堀が囲繞していたと考えられる。 現在は、神社境内の西から北側にかけて堀と土塁の一部が残存してる。

 

 同社には、戦国期、京極氏奉行人や浅井賢政(長政)から当社の前身にあたる薬神社に宛てた禁制が残っている。

その他安養寺氏が寄付したという天文十一年(1542)の木造狛犬1対(びわ町指定文化財)や同じ所伝をもつ戦国時代の六十二間筋兜鉢も保管されている。

 

 地元では、神社が安養寺氏の城跡であると伝えられている。社地は、北・東・西を堀とで今も囲まれており、西側には、低いなりにも土塁が確認できる。現状から見る限り、当地を安養寺氏の城館跡のその有力候補である。

歴 史

 安養寺城は、築城年代は定かでないが安養寺氏によって築かれた。 安養寺氏は、浅井氏の家臣で、当地の土豪。安養寺氏久・氏秀の名が伝えたれている。

 明応七年(1498年)頃、安養寺八郎右衛門光頼がここに居住したようです。安養寺河内守勝光は京極氏に仕えたようです。その後は、安養寺氏も浅井氏に仕え、安養寺三郎左衛門を代々名乗ったようで、氏久・氏秀・氏種(経世)と続いたようです。氏種は浅井氏の後、京極高次に仕え、慶長十一年(1606年)に没しているようです。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、Wikipedia

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