城郭探訪

yamaziro

猪鹿垣と農民

2012年11月20日 | 番外編

シシ垣
  近年、中山間地域等において野生獣による農作物被害が顕著になってきているが、過去
においても、野生獣による農作物被害については問題になっていたようである。高島町史
では、藩から金を借りて猪鹿垣を構築したり、補修をした村や指定された猟人が鉄砲の取
り扱いが許された村の記述がある。
なお、実際のシシ垣の写真は下記のとおりである。これは、滋賀県耕地課のホームペー
ジに掲載されている「近つ淡海の土地改良」の「先人の歩み」 に掲載されているものである

石積みが良好に残る部分

 米原市伊吹から大久保にいたる峠道に延々約350mにわたってシシ垣が残っている。高さは約50cmから2m。幅は60㎝前後で、伊吹山にある石灰岩を使って築かれている。
 シシ垣の西側は、姉川を望む台地で、現在は畑地や梅・柿畑、山林が広がる。シシ垣はこの地の作物を猪や鹿の獣害から守るために築かれた。 苔むしたシシ垣は、江戸時代の農民の労苦をしのばせる歴史的な農業資源であり、規模・残り具合ともに県内では貴重な産業遺産といえる
 

いのしかかき
猪鹿垣と農民

高島町拝戸から鵜川にいたる西南一帯の山麓に、土塁や石塁の猪鹿垣(シシ垣)が約8kmにわたって現存しています。
享和2年(1802年)に猪が急に増加して田畑を荒らしたことから、各村々ではシシ垣の構築に着手したという伝承です。
打下村では享和3年8月、金100両を大溝藩から借り受けて1,036間を構築し、天保15年(1844年)に再度金100両を拝借して補修し続けた
ものであり、農民は思わぬところに負担を強いられる結果となり農民の苦悩の跡がみえます。

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 シシ垣は、漢字で「猪垣」、「鹿垣」、「猪鹿垣」と書く。シシとは、肉がとれる獣類の古い呼称である。古くから、イノシシやシカは山間の住民にとって貴重なタンパク源であったが、一方で農作物に多大の被害を与える害獣でもあった。シシ垣は、これらの獣が田畑に侵入してこないように築かれた垣のことである。江戸時代などに築かれた石積みや土盛りのシシ垣の遺構が、今でも各地に残っている。

 滋賀県内にも、もちろんみられる。しかしこれまで、豪族や武士にまつわる古墳や城郭といった遺構が脚光を浴びてきたのにくらべ、農民の汗の結晶ともいうべきシシ垣が注目されることはなかった。

 たとえば比良山地の山麓には、地元でとれる花崗岩の石を積んだり、土を盛ったシシ垣がみられ、北部の高島市周辺には、長さが8にもおよぶものがある。また、「ヤマトタケルと白イノシシ」の神話が残る伊吹山にも、石灰岩を積んでイノシシやシカの畑への侵入を防ごうとしたシシ垣が残っている。さらに特徴的なものとして、大津市(旧志賀町)の荒川地区には、イノシシやシカの侵入に加え河川の水害・土石流災害に備えたシシ垣が残っている。

 シシ垣と道が交わるところには木戸口といわれるものがみられ、朝夕において、通行人は戸締りを厳重に行う必要があった。戸締りとは、木戸口からイノシシやシカが入ってこないように頑丈な板などをはめることであった。
 シシ垣はこれまで注目度が低かったが、注目される必要がある。地域の財産であり、子供や大人の学習の教材にもなる。先祖がどのようにして獣と向き合ってきたのか、その苦労に思いをはせ、今日の獣害への対応の教訓にすることができる。シシ垣に関心があるかたは、私がつくっている左記のシシ垣ネットワークのホームページにもアクセスしていただければ幸いである。
(http://homepage3.nifty.com/takahasi_zemi/sisigaki/sisimein.htm)

奈良大学文学部地理学科 教授 高橋春成

http://www.city.takashima.shiga.jp/www/contents/1346392507220/files/38.pdf#search='%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%82%B7%E5%9E%A3'

http://www.fukutake.or.jp/science/assist/report/07/pdf/07ck3_takahashi.pdf#search='%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%82%B7%E5%9E%A3'