観音正寺参道を横切って!安土 桑実寺へ・・・ブッシュです。
ブッシュを入り、教林坊の上を通って、清水鼻・・・
景清道(かげきよみち)
五個荘町にははば中央を南北に走る古道は、景清道と呼ばれ、源平合戦の昔 平家方の勇将 悪七兵衛平(藤原)景清が盲目となった己の目の回復を祈って 京の清水寺に詣でた時に通った道と言われています。「平家物語」では屋島の 戦いの際、那須与一が扇を射落としたあと、景清が陸に上り、源氏の武将の兜 の錣(1)をとって、「やあやあ 遠からん者には音にも聞け近くに寄って目にも見 よ」と名乗った勇者として知られています。 また、景清道は、影京道とも書かれて、中山道(当時は東山道)の間道として利 用されたとも言われています。
(1)【錣】しころ 兜(かぶと)・頭巾(ずきん)の左右・後方に下げて首筋をおおう部分。
また、五個荘は、近世から近代にかけて、日本にとどまらず、世界を舞台に活躍した近江商人たちのふるさとでもあります。
教林坊の総門を後にして、石寺を通るメインの鋪装道路を北東、五個荘の方向に歩きました。教林坊の傍を通る景清道はブックレトに記載の地図では五個荘方向に向かう道が途中で部分的に途切れているようです。
石寺の土塁跡の傍を通過し、石寺集落の東端・清水鼻に入ります。石寺は近江八幡市ですが、この清水鼻からは東近江市になり、清水鼻は五個荘の西南端となります。
そして、このあたりから中山道と合流します。
古代の東山道を踏襲し、中世には東海道とも呼ばれていのです。そして、近世に中山道と呼ばれるようになります。この道が繖山を抜けてきた景清道とも重なっているのです。
この重なっている道の区間をしばらく歩きました。
湖東三名水の一つ、「清水」の傍を通りました。
その先で、景清道は近世中山道と分かれます。
その分岐点に、まだ新しさが漂う道標が建っていました。
景清道から分岐点の道標を望む。
景清道を進んで行くと、左折すれば近江商人町並に入っていく十字路に到りました。
目前の左手には大城神社の境内が見えます。
境内東側面に沿って、道幅がそれまでの半分以下になった景清道が、北東方向に真っ直ぐ延びています。
我々は近江商人町並への道を進みます。北東方向にしばらく歩くことになります。
まず驚いたのはここの道幅でした。
大城神社
ブックレットに、この神社は「明治以前は大宮神社・天満宮と称し、菅原道真を祀っていました。観音寺城の鬼門にあたる北東の位置にあることから、観音寺城の守護神として信仰されていました」と、記されています。広々とした境内です。
通りを挟んで、大城神社の南側は日若宮神社です。
これらの神社境内の北西方向に大きな商人屋敷が続いていました。成功した近江商人の後裔が住んでいる感じです。雨振りのせいもあるでしょうが、町並みには静けさが漂っていました。
これが、今回の探訪の最終目的地、馬場の石塔(五輪塔)です。
大城神社所蔵で、鎌倉時代の優品です。
このあたりは五個荘金堂と称し、現在では重要伝統建造物群保存地区となっています。
「金堂の歴史は古く、その名はかつてこの地に存在したといわれる聖徳太子創建の寺院の金堂が由来とされています。しかし、現在の集落の基礎ができたのは江戸時代に入ってからです。金堂が大和郡山藩の飛び地領となった際に当地を治めるため陣屋が設置されますが、この陣屋を中心に集落は発展していき、明治時代に至って現在の姿が成立しました。」(ブックレット)とのこと。
五輪塔のあるこの場所が「馬場」と呼ばれる広場のようです。
確認は出来ませんでしたが、水口でみた建物からの連想では、大きな木の左奥にある建物は、五個荘金堂・大城神社の曳山(類型・芸屋台)の山蔵だろうと推測します。水口町立歴史民俗資料館でいただいた「曳山祭と近江の曳山」によれば、昭和40年頃までは曳山巡行に使用されていて、今は巡行せず保管されていると状態と記されています。
馬場の石塔の少し先を左折し、「ぷらざ三方よし」に向かいます。
この写真に見える道標の方向に右折していくと、地図では金堂のまちなみの中心地になっています。五個荘金堂の近江商人の屋敷(本宅)が軒を連ねているようです。
ここも、機会を改めて拝見に来たいと思います。
寺々の前の通り沿いに水路が作られています。
浄栄寺と弘誓寺の前の水路にはその両端に柵が設けられ、その間を鯉が沢山放たれていました。
浄栄寺:伝聖徳太子開基。不動院建立(金堂という地名の由来)。
宝治元年(1247)、浄栄法師が再興。浄土宗寺院。
弘誓寺:愚咄(寺伝では那須与一の孫)が犬上郡石畠に弘誓寺を建立。
天正9年(1764)に金堂に移される。浄土真宗大谷派の寺院。
もう一方の水路み設けられた柵近くから弘誓寺の方向を眺めて
少し先に、こんな道標がありました。
「鯉通り」「てんびん通り」 ネーミングがいいですね。
この地にぴったりの名づけ方です。
大城神社に到る景清道区間が、景清道を歩いた中で一番距離が長いところでした。
これで今回の探訪が終了です。
3回にまとめたこの探訪記事を、お読みいただきありがとうございます。
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今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました