福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

心斎橋周辺のライトアップ❣️. いつもご覧頂き御礼。よいお年をお迎えください。🐶

2017-12-31 04:00:22 | ★気儘にぶらり 再発見😲 面白いなぁ?
中之島から帰りに
心斎橋下車
チョット
御堂筋ライトアップを見てみた



ビルに映り込む



某金融機関のライトアップ 南ら



向かいのビル

通り過ぎ北から見た



向かいから見てみた


ショーウインドウ




本町から淀屋橋界隈の周辺ビルライトアップで綺麗だろう

マア、雰囲気だけでも

それにしてもメチャ多い人でびっくりです!

2017.12.23. 心斎橋周辺にて

2017年も終わる

いつもご覧頂き御礼申し上げます

1年間健康で過ごせた事に感謝です

毎日何某かアップを心がけた。

2018年はどんな1年となるだろうか?

明日の元旦は、関空の初日の出で新年をスタートしよう

昨年は好天だったが・・・・・天気予報 チョット心配です

昨年の元旦の1枚





皆様 良いお年をお迎えください🙇🏽‍♂️

2017.12.31.

✳️余談

今年最後の関空の1枚 2017.12.28

1年間 関空によく通いました。今日は特にありませんでした

ジャンボ機で締めです。



12月30日(土)のつぶやき

2017-12-31 02:09:01 | 0 話題& ひろい読み &つぶやき

蛸の松 田蓑橋 北詰 に枝振りの良い1本松。そもそも、福島正則が植えた結われを復元し植えられている。

2017-12-30 04:00:35 | ★気儘にぶらり 再発見😲 面白いなぁ?
堂島川沿いに上り、田蓑橋北隅に
枝振りの良い松が一本
こんな場所に
蛸の松
由緒は?

田蓑橋

北詰の一画









何気なく通りすがりに見ていたが紐解けば由緒ある1本だ!
中之島は本当に歴史の巣窟
面白い

✳️蛸の松

蛸の松(たこのまつ)は、大阪市福島区福島1丁目にある松の木の名称。堂島川の右岸・田蓑橋北詰の袂にある。
最初の蛸の松は、堂島川の左岸・現在の田蓑橋南詰のもう少し下流側、玉江橋との中間ぐらいの位置にあった。
枝振りが蛸の泳ぐ姿に見えるということから、「蛸の松」と呼ばれるようになった。 その松の木は慶安年間に福島正則が植えたといわれており、その後、すぐ近くに屋敷を構えていた浅野氏が毎年扶持十石を与えて維持したという。
しかし、明治44年(1911年)についに枯れてしまった。 その切株の一部は、現在も大阪教育大学の天王寺キャンパス内に保存されている。
なお、現在の蛸の松は平成16年(2004年)に護岸工事の一環として植えられたものである。

✳️蛸の松 HP があったので抜粋した

中之島は、大阪落城後に豪商・淀屋与三郎によって開発されたのが始まりです。江戸時代には諸国物産取引の中心地としての地位を築き、諸大名の蔵屋敷が多く設けられ、“天下の台所”にふさわしい活況を呈していました。立ち並んだ蔵屋敷前には、各藩自慢の松が植えられ、人々は屋敷の白壁と川面に映る松の景色を楽しんだといわれています。なかでも、慶長年間(1596~1615)に当時の広島藩主・福島政則が植えたと伝えられる黒松は、枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と名付けられ、名所の一つとして親しまれていました。





蛸の松」がその端正な姿で人々の目を楽しませ、大阪の名所の一つとして明治後半に切り倒されるまで愛されていたことは、古い絵図などで知ることができます。また、数多くの写真も残されており、その1枚が大阪城天守閣に所蔵されています。『久留米藩大阪蔵屋敷絵図』と同じようなアングルの写真で、往時の姿が絵図そのままであったことを確認することができます。


✳️田蓑橋(たみのはし)は
田蓑橋(たみのばし)は、大阪府大阪市北区にある、堂島川(旧淀川)に架かる橋。大阪 市北区堂島3丁目と中之島3丁目を結んでいる。 北詰に大阪中之島合同庁舎、NTT テレパーク堂島、史跡蛸の松が、南詰にダイビル本館などがある。 橋名は 難波八十島(なにわのやそしま)のひとつである田蓑島(たみののしま)に由来するが、 架橋地点が田蓑島に該当するかは不明。 1693年(元禄6年)、堂島開発に伴い、最初の 橋が架設 .
歴史
橋名は難波八十島(なにわのやそしま)のひとつである田蓑島(たみののしま)に由来するが、架橋地点が田蓑島に該当するかは不明。
1693年(元禄6年)、堂島開発に伴い、最初の橋が架設された。木造で、橋長は46間半9寸5歩(91.9m)、幅員2間8寸(4.2m)。
この橋は1885年(明治18年)の洪水時に落橋。直後に木桁橋で復旧された。
1901年(明治34年)に鉄柱の橋として改築された。
1929年(昭和4年)、第一次都市計画事業に於いて鉄筋コンクリート柱の橋に改築された。
1965年(昭和40年)にかさ上げと同時に鋼床版桁橋に改築された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:BridgeOfNakanoshima.png









『カド丸』建築 旧ダイビル ライトアップ&LED 周辺の夜景も面白い❣️

2017-12-29 04:00:13 | ★気儘にぶらり 再発見😲 面白いなぁ?
OSAKA光の饗宴 2017. 中之島ウェストゾーン
ダイビル・関西電力・関電不動産の3社の開発プロジェクトゾーン

ダイビル本館 その低層部がレトロな外装や内装を復元している

周辺の感じをアップする
①クルーズ船から見上げた


②ABC本社の芝生ゾーンから

③中之島通り沿いのライトアップ





カド丸 建築様式

④植栽庭園は綺麗にライトアップ➡︎中之島四季の丘。結構 散策している





★綺麗な水が張り詰めている。映り込みが面白い





カド丸 ビルも映り込む

歩道でセパレーツの映り込み



⑤関電本社ビル 右端


ライトアップ


ウエストエリアになると

堂島川沿いの方が開発されてる感じがする。中之島の西端がどうなっているのか

一度探索して見たいもんだ!

2017.12.23. 中之島 ウエストエリアにて

ダイビル本館


概要
ダイビル本館(ダイビルほんかん)は、大阪市北区中之島3丁目にある高層ビルである。 ダイビル、関西電力、関電不動産の3社が進めている中之島3丁目共同開発の第三期 工事として2010年10月に着工、2013年2月28日に竣工(完成)した。 着工時の報道 発表では、当ビルの名称を「中之島ダイビル・ウエスト(仮称)」としていたが、2011年4月 には正式名称を「ダイビル本館」にすることが発表された。

✳️ビルを建設するにあたって解体される旧ダイビルは、1926年に渡辺節の設計で建てられた、ネオ・ロマネスク様式の大規模なビルディングである。同じ渡辺の設計である神戸の商船三井ビルディングと並び、大正期の大規模オフィスビルとして現存する最後のものである。 しかし、ダイビル、ダイビルの大株主の商船三井、関西電力は老朽化および土地利用の見地から旧ビルの解体と高層ビルへの建て替えを計画を発表し、歴史的に重要な建築物の保存の見地から論議となった。

旧ビルに入居しているテナントが中之島ダイビルへ移転した後、第三期工事として旧ビルを解体して跡地に建設された。低層部には旧ビルの外装に使っているレンガの約8割、石材の装飾品を可能な限り再利用し、近代建築として評価の高い外観やエントランスホールを再現するよう配慮したものとしている。

低層階には商業施設やカフェテリア、貸会議室が設けられている。一方、上層階はオフィスとなっており、メインテナントとして大林組大阪本店が入居している[2]。

また、当ビルの西側には、関電不動産と共同で広場(中之島四季の丘)が整備された。

2015年には中之島四季の丘とともに、日本建設業連合会主催の第56回BCS賞を受賞している[4]。

●カド丸 建築
レトロ建築編 高岡伸一 さんの書・・・抜粋
 ちゃんと調べたわけではないが、大阪の都市にはカドマル建築が多い気がする。カドマル建築とは、外壁の角が丸い建築のこと。特段そのような用語があるわけではなく、勝手にそう名づけてみた。
 一般的な建築の外観は、角が90度に尖っている。だから御堂筋のような大通りでは、建ち並ぶビルがビシッと揃って綺麗に外壁が連続するし、船場の古い市街地では、交差点の角が四隅からギュッと絞り込まれて、密集度が強調される。そんな中にカドマル建築が現れると、ふっと緊張から開放されるというか、空間に動きとゆとりが生まれるような気がする。前編と後編の2回にわけて、そんな大阪のカドマル建築とその魅力を紹介しよう。







船上から見た玉江橋のライトアップ 見事な変化でした❣️

2017-12-28 04:00:57 | ★気儘にぶらりシャッター📷思い出‼️
OSAKA 光の饗宴 エリアプログラム2017 も終了した
中之島ウェストゾーンは
ウオーターファンタジア 🌈レインボーの放水
船上から鑑賞する ➡︎乗ってみた❗️
福島港(海ほたる)から約20数人乗りクルーズ船が人気で満員、席は最後尾。
堂島川を渡辺橋まで上り、ユータンして玉江橋を少し下り周遊約20分コースだ

横目に
玉江橋を潜り下る
橋脚ライトアップはメチャカラフルだった
ライトの変化は面白い
堂島大橋の見えるこの辺りまで下り、ユータン タワーマンションもライトアップ?


玉江橋を潜り港へ帰る


南北セパレートされてています。間を水道管?












関電病院


ABC放送

ファミリー&カップルで満員。1人乗船は小生位かなぁ(笑い
関西に在住35年余り
知らない事がメチャ多い
時間を見つけて探索したい。

余談

玉江橋 遊歩道から見た


夜になれば


関電病院

朝日放送



✳️玉江橋
玉江橋(たまえばし)は、大阪府大阪市の堂島川に架かる橋である。なにわ筋に架けられている。浪速の名橋50選にも選ばれている。
昔は大阪の七不思議の一つとして「玉江橋の南に天王寺さんの五重塔が見える」と言われていたが、玉江橋の東南に位置する四天王寺が橋の真南に見えることによるが、これは下に流れる堂島川が西南に流れているため、この橋が単に斜に架けられているからである。
福澤諭吉は玉江橋の北詰にあった中津藩の蔵屋敷で生まれている。
現、ABC放送の本社南側にある

横に並んで



✳️玉江橋は大江橋や渡辺橋と同様に、元禄期の堂島開発によって架けられた橋である。この時、古代大坂に架けられていたとされる堀江橋の名前で復活されたが、のちに玉江橋と変更されている。玉江の由来は、『中之島誌』によると、欽明朝のころ堀江で美しい玉が見つかり、堀川戎神社の御神霊としたが、その場所を玉江と呼んだという縁起から命名したとされている。
 江戸時代、玉江橋の北には肥後藩、中津藩の蔵屋敷があり、南には久留米藩の蔵屋敷や理宝院という薬師堂があり、縁日には大層賑わった。
 明治18年の大洪水で流失した後、一たん木橋で復旧されたが、明治42年の北の大火で類焼している。その後、昭和4年に第一次都市計画事業によって近代的な3径間鋼ゲルバー桁に架け替えられた。昭和44年には高潮対策による嵩上とともに下流側に新橋が架けられ、拡幅された。また、平成3年には改装工事が行われ、堂島川の常安橋とともに、現代的なアルミ製の高欄や照明灯、タイル舗装が用いられている。