福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

水の都 なにわ 川面に浮かぶ灯り 夜の散策です❣️❣️

2017-12-08 12:30:07 | ★気儘にぶらりシャッター📷思い出‼️
中之島界隈を目指して、酔い覚ましも兼ねて
ブラブラと・・・梅田 お初天神から歩いた
水の都 難波(なにわ)
大阪の橋は面白い

図のように、御堂筋の2つの川に架かる橋が
●堂島川➡︎中之島から北に架かる橋が➡︎大江橋
●土佐堀川➡︎中之島から南に架かる橋が➡︎淀屋橋だ
他の橋も殆どが同様に中之島に架かる橋の名前が違う

ぶらりと夜の散策

★大江橋から水晶橋方向
★大江橋からガーデンブリッジ


★旧日銀大阪支店



★淀屋橋からフェスティバルホール

御堂筋はイルミネーション

市役所横中央公会堂方向へ

土佐堀川沿いを歩く

栴檀木橋(せんだんのきばし)





★堂島川 鉾流橋周辺へ
川上の難波橋方面


水晶橋方面




★堂島川沿に水晶橋方向へ



水晶橋

水晶橋から鉾流橋を


大江橋方面





地下鉄淀屋橋駅へ急ごう チョット遅くなった

淀屋橋から栴檀木橋方面を最後に地下鉄へ


今夜渡った橋は、大江橋➡︎鉾流橋➡︎水晶橋➡︎淀屋橋 をぐるり

川面に揺らぐ灯りはなかなか良い夜景ですね

2017.12.7. 中之島周辺

今月14日から光の饗宴 プロジェクト スタートとか?????

以上

余談

★中之島をはさむ二つの川・堂島川と土佐堀川
淀川は、毛馬水門の所で、淀川から大川へ分岐する(大川の方が本来の淀川なので、大川は「旧淀川」とも呼ばれている)。大川は、中之島で北の堂島川、南の土佐堀川に分かれる。中之島より下流になると「安治川」と名を変えてゆく。明治〜昭和初期の名所絵葉書からも、堂島川・土佐堀川沿いは大阪の商業の中心地だったことがうかがえる。

②栴檀木橋
由来
江戸時代の初期、蔵屋敷のあった中之島と船場の行き来のために架けられたと考えられている。
明治18年の淀川大洪水で流されてしまい、再び架けられたのは大正3年。昭和10年に架け替えられ、更に昭和60年に再び架け替えられ、現在に至る。

③鉾流橋
天神祭の際行われる鉾流しの神事にちなむ橋名がつけられているため古い印象を 受けるが、初めてこの地に橋が架けられたのは大正7年のこととされている。大正5年に 大阪控訴院が新築されており、大正7年には中央公会堂が、同10年に大阪市庁舎が 完成するなど周辺の整備が進められる中で、橋の需要が高まっていたものと思われる。 天神祭の宵宮に神鉾を川に流す行事「鉾流しの神事」は現在も鉾流橋のたもとで行われ ている。 現在の橋は、昭和4年完成した。高欄、照明灯、親柱など日本調にクラシックな デザイン .

④水晶橋
水晶橋は、正確に言えば橋ではなかった。この橋は本来は昭和4年に完成した堂島川可動堰という、河川浄化を目的として建設されたゲートである。橋面の改装が行われたとき、さらに多くの人に利用してもらうことを願って、法律上も橋と認定する手続きがとられたので、現在は名実ともに橋になっている。
水晶橋という名の由来は今一つはっきりしないが、橋上にある照明灯が水面に映る様子が水晶のかがやきに似ているということから出た愛称であるとする説もあり、水都大阪が繁昌するようにという意味で水昌橋であるという説もあって決め難い。

⑤大江橋
歴史的には江戸時代の元禄年間、堂島の開発に伴って架けられた5つの橋(大江橋、渡辺橋、田蓑橋、堀江橋、船津橋)のうちの1つである。1909年に大阪市北区の一帯を襲った「北の大火」で焼失。翌1910年に復興と市電の開通に伴い、鉄橋として架け替えられた。
現在の大江橋は、大阪市の都市計画の一環としての御堂筋の拡幅工事に伴い、1930年に着工し1935年に完成した。架け替えに先立ち、すぐ南側の土佐堀川に架かる淀屋橋とともに、1924年に大阪市の第1次都市計画事業で公募された、鉄筋コンクリート造りのアーチ橋ながら、パリのセーヌ川を参考に景観に配慮したデザインは、一部補修された以外は懸架された当時のままで、市の第1次都市計画事業の目指す所を現代に伝えている。このことが特に評価され、2008年には「大江橋及び淀屋橋」として、コンクリートの橋としては珍しく重要文化財に指定された。

⑥淀屋橋
橋の南西に居を構えていた江戸時代の豪商・淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初で、橋名もこれに由来する。米市は橋の南詰の路上で行われていたが、1697年(元禄10年)に堂島へ移った。
現在の橋は都市計画学者でもあった關一第7代大阪市長による御堂筋拡幅工事の一環として、1935年(昭和10年)に完成した鉄筋コンクリート造りのアーチ橋である[2][3]。淀屋橋と対になる、堂島川に架かる御堂筋の橋である大江橋も同年完成で、両橋のデザインは1924年(大正13年)の大阪市第一次都市計画事業で公募されたものである。
パリのセーヌ川を参考に景観に配慮したデザインは、一部補修された以外は懸架された当時のままで、市の第一次都市計画事業の目指すところを後世に伝えている。2008年(平成20年)には、「大江橋及び淀屋橋」として、コンクリート橋としては珍しく重要文化財に指定された。