福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

蛸の松 田蓑橋 北詰 に枝振りの良い1本松。そもそも、福島正則が植えた結われを復元し植えられている。

2017-12-30 04:00:35 | ★気儘にぶらり 再発見😲 面白いなぁ?
堂島川沿いに上り、田蓑橋北隅に
枝振りの良い松が一本
こんな場所に
蛸の松
由緒は?

田蓑橋

北詰の一画









何気なく通りすがりに見ていたが紐解けば由緒ある1本だ!
中之島は本当に歴史の巣窟
面白い

✳️蛸の松

蛸の松(たこのまつ)は、大阪市福島区福島1丁目にある松の木の名称。堂島川の右岸・田蓑橋北詰の袂にある。
最初の蛸の松は、堂島川の左岸・現在の田蓑橋南詰のもう少し下流側、玉江橋との中間ぐらいの位置にあった。
枝振りが蛸の泳ぐ姿に見えるということから、「蛸の松」と呼ばれるようになった。 その松の木は慶安年間に福島正則が植えたといわれており、その後、すぐ近くに屋敷を構えていた浅野氏が毎年扶持十石を与えて維持したという。
しかし、明治44年(1911年)についに枯れてしまった。 その切株の一部は、現在も大阪教育大学の天王寺キャンパス内に保存されている。
なお、現在の蛸の松は平成16年(2004年)に護岸工事の一環として植えられたものである。

✳️蛸の松 HP があったので抜粋した

中之島は、大阪落城後に豪商・淀屋与三郎によって開発されたのが始まりです。江戸時代には諸国物産取引の中心地としての地位を築き、諸大名の蔵屋敷が多く設けられ、“天下の台所”にふさわしい活況を呈していました。立ち並んだ蔵屋敷前には、各藩自慢の松が植えられ、人々は屋敷の白壁と川面に映る松の景色を楽しんだといわれています。なかでも、慶長年間(1596~1615)に当時の広島藩主・福島政則が植えたと伝えられる黒松は、枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と名付けられ、名所の一つとして親しまれていました。





蛸の松」がその端正な姿で人々の目を楽しませ、大阪の名所の一つとして明治後半に切り倒されるまで愛されていたことは、古い絵図などで知ることができます。また、数多くの写真も残されており、その1枚が大阪城天守閣に所蔵されています。『久留米藩大阪蔵屋敷絵図』と同じようなアングルの写真で、往時の姿が絵図そのままであったことを確認することができます。


✳️田蓑橋(たみのはし)は
田蓑橋(たみのばし)は、大阪府大阪市北区にある、堂島川(旧淀川)に架かる橋。大阪 市北区堂島3丁目と中之島3丁目を結んでいる。 北詰に大阪中之島合同庁舎、NTT テレパーク堂島、史跡蛸の松が、南詰にダイビル本館などがある。 橋名は 難波八十島(なにわのやそしま)のひとつである田蓑島(たみののしま)に由来するが、 架橋地点が田蓑島に該当するかは不明。 1693年(元禄6年)、堂島開発に伴い、最初の 橋が架設 .
歴史
橋名は難波八十島(なにわのやそしま)のひとつである田蓑島(たみののしま)に由来するが、架橋地点が田蓑島に該当するかは不明。
1693年(元禄6年)、堂島開発に伴い、最初の橋が架設された。木造で、橋長は46間半9寸5歩(91.9m)、幅員2間8寸(4.2m)。
この橋は1885年(明治18年)の洪水時に落橋。直後に木桁橋で復旧された。
1901年(明治34年)に鉄柱の橋として改築された。
1929年(昭和4年)、第一次都市計画事業に於いて鉄筋コンクリート柱の橋に改築された。
1965年(昭和40年)にかさ上げと同時に鋼床版桁橋に改築された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:BridgeOfNakanoshima.png